1.邂逅


繁栄を極めたその世界は、何の前触れもなく壊れた。
大海に撃ち落とされた災厄の光。全くの謎に包まれた高次エネルギーの塊は、世界を崩壊させた。
人の築いた文明は消え、残されたのは干上がった砂漠の海とわずかな生命。
人は、残された命をつなぐために細々と残った緑と水を求め、再生と復興を目指し歩み始めた。

今の世界には、大きな力を持つ国が二つあった。
旧文明の科学復興研究によって繁栄するキルメル帝国。
残された森と水が豊かにあり、自然との共生と神への信仰を掲げ、神団が強い力を持つシュライネ皇国。

二つの国は長きにわたって戦争を続けていた。


「和解!?」
クルト・サルレインは素っ頓狂(すっとんきょう)な声をあげて、思わず階段に蹴躓(けつまず)きそうになった。
白の祭服を着た男はその口を手でぐっとふさいで睨みつける。
「馬鹿者!こんなところで大きな声を出すな。まだ秘匿事項だ」
焦った様子で、彼は声をひそめ周りを見回す。何事かとこちらをちらちら見る人間が何人かいた。
ここはシュライネの聖都であり、その中央に鎮座する大聖堂へとつながるメインストリートの大階段であった。落ち着いた佇まいの石の階段は多くの人が行きかっていた。
クルトはシュライネの東部にある奥深い森から、目の前にいる男に連れられて、仕事のためにこの大都市にやってきた。
「田舎者ですんで。そう言うことがわからなくて、すみませんねぇ」
クルトのヘラヘラとした顔を見て、男の眉間にわずかにしわがよる。しかし職業柄、温和な雰囲気を崩すことはまずなかった。彼は背を向けて階段をあがっていく。
クルトは含み笑いをしたまま周囲を見回した。
目の前を鳩が飛び去っていく。階段下の噴水前にいた鳩達だろう。
美しい街だな…。
階段の途中ではあったが、クルトが街を一望するには十分な高さがあった。
街のそこかしこにある水路に流れる水に、太陽の光が反射して、水面がキラキラと光っている。
聖都は別名「水の都」。
聖都の水は、残された水源の中で最も良質であるといわれていた。その水をベースに育った木々は整備され、街を美しい緑に彩り、近くでとれる真っ白で丈夫な石材は街の建物のほぼすべてに使用されていた。
色のコントラストも素晴らしいが、旧時代の都市とさほど変わらぬ活気と美しさが保たれていると言うことが最も着目すべきところであるだろう。
階段を上りきってクルトはその立派な大聖堂の入り口を前にする。
この世界には、いつの時代のどのような場所であっても、受け継がれていく神の伝承が残っていた。その神様の姿や、形、名前はさまざまであったが、どの宗教においても共通して、神の瞳は金だとされていた。
そんな中で、シュライネは神への信仰が大変に篤い。それは、その昔に撃ち下ろされた災厄の光から程遠くないこの地が、被害をあまり受けず、豊かなままでいられることに起因していた。神がこの地を守ってくれたと人々は信じたのだ。実際、その姿を見た者がいたと言われていた。
大聖堂は白と青を基調にした荘厳な建物だった。入口に大きな白い石柱が六本並び、細かな彫刻がなされている。石柱の奥に木製の大きな扉があり、真鍮製と思われる丸い取手が付いていた。
男が扉の前でクルトが来るのを待っていた。しかし慌てることもなく悠々とクルトは階段を上り、扉の前に立った。
「ここから一番奥の祭場に入る。聖堂内への刀剣の持ち込み許可はおろしてあるが、あまり目立つようなことは控えてもらおう」
クルトは困ったように眉尻を下げ、息をついた。
彼らは聖堂にのぼってくる間、すでに礼拝のために行きかう人々から、注視を受けていた。
礼拝には大抵の者が小綺麗な身なりをして訪れていた。加えてシュライネには神団お抱えの騎士団があり、そこに属する騎士たち以外は刀剣の類を持つ習慣がない。特に堅固な守りのなされている聖都では刀剣を持ち歩いている者は珍しかった。
クルトは騎士服も鎧も着用せず、気楽な格好をしていた。
半端な袖丈の濃い紺の上着に、ズボンをはいて、腰の剣帯に臙脂色の鞘に入った剣が下げられていた。
その上、彼を森からここ聖都へ連れてきた目の前の男は、神団では高位の祭司だった。幾度も、丁寧な挨拶を受けては返していた。
ここにつくまでの間、十分に目立っていたというのに、そのことをこの男は今更言うのかと、呆れてものも言えなかった。
少し重そうな大聖堂の扉が開かれ、クルトは中に足を踏み入れた。
大聖堂の中はひんやりとしていて、静かだった。
シュライネは一年を通して暑い夏気だ。照りつける太陽は容赦がない。そのため、日光が遮られる建物の中に入るだけでも、体感温度はずいぶん違っていた。加えて、聖堂内の床に使用されているつるりとした石材は、熱を奪ってくれる性質らしかった。
森で育ったクルトは、聖都の熱気にほとほとやられていた。森は影も多く涼しい。彼自身、暑いのはあまり好みではなかった。
少し安堵の吐息が漏れる。
「ついてきなさい」
男はクルトの顔を見たあと、聖堂の奥に目を向けて歩きだした。
ブーツが床石にあたって立てる小気味よい音だけが、響いていた。
「ずいぶん静かだな。人はいるだろ?」
クルトは無数の人の気配を感じつつも、ひっそりとしている聖堂の廊下が奇妙だと思った。
「ちょうど礼拝が開かれている時間だから、皆祈りをささげている。そのために静かなのだよ」
ちょうどねぇ…。
クルトは含み笑いを浮かべた。
人を小馬鹿にするのも、大概にしてほしいと思った。聡(さと)い者ならば、それがいったいどういうことを指すのかすぐにわかる。
わざわざ礼拝の時間を見計らって、クルトを聖堂内に導いたことは明白であった。つまり、今回の案件は、今の時点では人に知られることをできるだけ避けたい危険な仕事ということである。
「君は職業柄、世の情勢には敏感だろう?」
ふいに男が廊下を歩きながらクルトに話しかけてきた。
「まぁね。そう言うものを嗅ぎ取れないと商売にならねぇからな」
相変わらずヘラリとした笑いを顔に乗せている。
クルトの職業は一言でいえば傭兵だった。だが、彼は特定の王侯貴族や神団に士官することもなく、ふらふらとしているのだった。それでも食いっぱぐれがないというのは、ひとえに彼の実力が折り紙つきのためだろう。
「長きに渡って我々シュライネとキルメルは戦いを繰り返してきた。しかし、結局のところ勝敗が着く気配もなく、ただ無益にも血が流れるばかりだ」
男は心からその状況を憂いているような表情だった。
もう、十年も続いている両国の争い。今は小康状態にあるが、またいつ戦火が上がるともわからない状況だった。
「俺に頼みたい仕事はその両国の和解に関係する……とか、さっき言ってたな」
クルトは、怪訝そうに眉を寄せる。
この大聖堂に来る前に、道すがらクルトが聞いて驚きの声を上げた話だった。
最初、男の話では、仕事は神団の要人を護衛してもらいたいということだった。もともとそれほど鵜呑みにはしていなかったが、戦争だの和解だのと、どうにもきな臭い。
「そう、戦争のせいで疲弊した両国は和解に踏み切ろうとした。しかし実際には和解ではない。最終決戦なのだよ」
「最終決戦?」
クルトはいぶかしんだ声を上げた。
クルトは常に戦争に関する仕事を引き受けていなかった。そう言う国同士のごたごたは嫌いだったうえに、殺人をするような仕事は彼の信条に反するため、引き受けることはなかった。
今回は特別な理由で引き受けざるを得なかったわけだが…。
「お互いが意見を交わして和解に持って行けるほど容易い関係ではない。十年もの間に重ねた互いの怨嗟の鎖は解けないものだ」
最初は、互いの国土と、思想の違いに基づく争いだった。その中で人が殺し殺され、人々は当初の目的よりも自分の親しき人を殺された恨みに身を任せ、血で血を洗う争いへと変わっていった。
和解と言ってもその恨みは消えにくい。つまり、どちらの国も簡単には民意をまとめきることができないということだ。
「そこで我々が考えた末に出した答えが……」
男がそこまで言ったところで、大聖堂の最奥にある祭場の扉の前に着いた。
祭場は高位の司祭しか入ることのできない特別な祈りの場であり、一般人であるクルトが本来は入れるような場所ではなかった。
しかし、裏を返せば数人しか入れない場であるために、外に情報が漏れることのない、うってつけの密会場所でもあった。
男は一つ息を吐いてクルトの顔を見た。そして真剣な目で言葉を発した。
「互いの有する最強の【チャイルド】同士を戦わせ勝敗を決する」
「なっ…!!」
クルトは思わず目を見張った。
そして男は向き直り、両開きの扉を大きく開け放った。
クルトが中を見ると、そこには天窓から降り注ぐ光に照らし出された一人の若い女と、男が待っていた。
「入りなさい」
半ば呆然としていたクルトを男は中へ入るよう促し、外の様子を確かめて扉を閉めた。
中にいた男が、こちらを向いた。女は、ずっと天窓からから注ぐ光の先を見ていた。
「待っていたよ。クルト・サルレイン君…」
細い長方形の眼鏡をかけた男がクルトを見て微笑んだ。
「ケイサム、貴方も御苦労様でした」
クルトを案内してきたケイサムは男に頭(こうべ)を垂れた。
クルトは呼吸を整え、表情を引き締めて彼らの方へ歩み寄った。
「驚いたな……さすがの俺も最高司祭の顔くらいは知ってるぜ」
男は微笑を湛えたままクルトに近づいてきた。祭場の中央あたりで彼はすっと右手を差し出した。
「はじめまして。あなたの雇い主となるハルスト・グラントレッセです」
クルトは求められた握手をふいっと無視をして、どうも、と小さく一言返した。どうにも神団の人間とは仲良くしたくなかった。
最高司祭・ハルストは神団における最高権力者であった。国政においても皇帝の右腕として大きな力をふるい、実質上この国を動かしている人物と捉えても良かった。
「詳細は聞きましたか?」
あくまで優しげな声音ではあったが、ハルストから確かに感じる、押されるような圧迫感。一流の政治家の持つ、特有の狡猾な雰囲気と言おうか。
彼は微笑んでいるのに、笑っていない。
クルト自身は詳しく知らなかったが、年齢はたしか五十手前のはず。その若さで神団と政府の両方を掌握に収めているのだから、こう言う力を有していることも、また当然ともいえよう。
「チャイルドを戦わせるってことまで聞いたが」
クルトは彼から発せられるプレッシャーに負けないように、ぐっと強めにこぶしを握った。
「では、そこから先は私が」
ハルストは、今度は目元を柔らかくしてクルトに説明を始めた。
化けやがる…。
クルトの警戒心を一瞬で見抜き、対応するように彼は雰囲気を変えた。それだけの力量を持つ人間はそうそういない。
クルトの中で警告音が響く。こいつとはかかわるなと本能が叫ぶ。だが、逃げだすことはできない。もうすでに彼は一番の弱みを握られているのだから。
「君もチャイルド同士を戦わせるということがどういうことかわかっているでしょう」
「まぁね…」
世界を崩壊へと導いた高次エネルギーの光は、二つの力を生み出した。
【ジェム】と呼ばれる高次エネルギー包含鉱石。
【チャイルド】と呼ばれる高次エネルギーを体内に宿した人間。
高次エネルギーは自然界の力を自在に操り絶大な力を発揮する。チャイルドは水を操り運河を開き、植物に働きかけ砂漠に緑を作り出すことも可能にする。
彼らは高次エネルギーを体内に宿すせいか、必ず片目が金の瞳をしていた。
彼らが発現した当初、人々はその超常の力を神からの授かりものと考え、伝承の神と同じ金色の瞳を持ち、特異能力を持つもの達を総称して「神の子(チャイルド)」と呼んで崇めた。
しかし、争いの進む世界でチャイルドの在り方が変容していった。今の世での彼らは、その国における最大の戦力であり、兵器であった。
水の力を有するチャイルドならば、一瞬にして街を水底に沈め、風の力を有するチャイルドならば、敵陣を風の刃でなぎ倒すことが可能だった。
「国の最高峰チャイルドは、その国最大の武力です。どちらかのチャイルドが敗れればその国の国力は著しく下がり、その後の敗戦は確実。そこまで追い詰められれば民意も自然固まり、結果として敗戦を受け入れざるをえなくなる」
そして彼は、クルトの目を見た。
「無駄な血がこれ以上流れなくて済む最良の方法なのだよ。民衆を守れる」
「なるほど」
少しだけ熱の入ったハルストの言葉に、クルトは苦い顔をして見せる。
こういう政治家の考えは虫唾が走るとクルトは思った。
民衆と言ってはいるが、そこに一人のチャイルドである人間が入っていない。いや、シュライネのほとんどの人間がその特殊な人間を人間と思っていない。彼らチャイルドは、ただの兵器としてしか、考えられていないのだ。
一国の行く末と、ひとりの人間を天秤に掛ける。どちらかをとるならば、一人くらいの犠牲は仕方がない。そう言う考え方は嫌いだった。
「君の仕事を説明しよう」
ようやく本題かと思って、クルトは黙って笑みを浮かべた。
「セルフィナリア…こちらへ」
ハルストが後ろを振り向き、こちらに背を向け続けていた女を呼んだ。
その声に反応し、肩くらいで切られたウェーヴがかった金の髪が揺れ、彼女がこちらを向く。

ドクンッとクルトの鼓動がはねた。内から沸き起こる思い。それが何なのか彼には理解ができなかった。
ただ、彼は彼女から目が離せなかった。

振り返った彼女の両眼は金色だった。そう、伝承にある神と同じ瞳の色をしていた。
ゆっくりと歩み寄ってくる彼女は、まるで美しい人形のように無表情だった。
「驚くのも無理はない。紹介しよう、彼女はセルフィナリア・フェードレッセ。我ら神が与えし『完全体チャイルド』だ」
クルトの反応を見てハルストは当たり前のように言った。
しかし、クルトは彼女の金の両眼よりも、彼女の存在そのものに言いようのない感情を抱いていた。

それは、甘くしびれるような懐かしい痛み。
そして同時に感じる、言いようのない不安と緊張。

まるで、本能が何かを警告するかのように、ただ鼓動が大きく速くなる。
「完…全体……?」
クルトは怪訝そうにハルストを見て、その一言だけを絞り出した。
セルフィナリアは一言も発せずにハルストの横に立った。
「彼女は専属操玉師(そうぎょくし)を必要としないチャイルドなのだよ」
「まさか!」
クルトは驚きの声を上げた。
チャイルドもジェムも、彼ら単体ではその力を十分に発揮できない。彼らにはパートナーとなる人間が必要だった。それが【操玉師】。
チャイルドたちには、それぞれ専属の操玉師がいて、彼らを媒体に特殊能力を現すことが可能となる。
それゆえに、彼らはその身を操玉師に縛られ、国に縛られることとなっているのだった。また、チャイルドの戦闘において操玉師の存在が大きな影響を与えている。彼らの強みであり弱点でもあった。
「操玉師がいないってことは、自分の力を自分で発動させることができるってことか……」
「そして、彼女はさらに特殊だ」
「特殊?」
ちらりとセルフィナリアの顔を見る。彼女はどこともなく空を見つめていた。まるで、彼女は自分の周りで話されていることが他人事のように、無関心だった。
「彼女は特定の性質を持たない」
「おいおい……それじゃあ逆にチャイルドとは言い難いだろ」
話が読めないと、クルトは渋い顔をした。
性質はそのチャイルドが操ることのできる、水や火のような自然力の事を指す。自然の性質を自在に操るからこそチャイルド。彼女が何らかの自然力を操れないというのならば、チャイルドとは言い難い。
「正確には媒体さえあれば、なんでも操れるということだ」
「媒体って……」
「ジェムだ」
ハルストの笑みにクルトはうすら寒いものがこみ上げてきた。
高次エネルギー包含鉱石であるジェムは、特定の自然性質を操ることのできる高次エネルギーを持ち、希少で美しい宝珠達だった。
ただし、その力を引き出せるのは、操玉師かジェム研究者の生み出した、特殊な発動装置のみ。そして、ジェムにはその鉱石が持つエネルギーに限りがある。使い捨てと言ってよかった。
「彼女はジェムの力を己の性質として操作することができる。操玉師に近しいかもしれないが、操玉師がジェムの中のエネルギーしか引き出せないのに対し、彼女は自分の中のエネルギーを上乗せすることが可能なのだ」
クルトはギリッと奥歯を噛みしめた。彼がクルトに何を要求するか、その大筋が読めた。だが、表面上は含み笑いを湛えたままだ。
「なるほど…確かに最強のチャイルド様だな」
シュライネの最終兵器は彼女。つまり、彼女が決戦をするチャイルドと言うわけだろう。そして、この場で彼に引き合わせたということは……
「君には彼女の護衛を頼みたい」
しごく真面目な顔をしたハルストが、クルトを見た。
「最終決戦が行われるのは、両国の境界であり、中央地に当たるケベック荒野にある双璧=Bそこまでの道すがら彼女を守ってくれ」
二つの国の狭間には、大きく広がる荒野がある。それがケベック荒野。
双壁は荒野の中央付近にある二枚の巨岩だった。ここを境に幾度も両国は衝突を繰り返してきた。
大規模なチャイルド同士の争いは、その壮絶さから周りに与える被害も大きい。そのため、両国の領地でなく、広く何もないこの場が選ばれたのだ。
「神団には優秀な騎士様がたくさんいると思うんですけどねぇ。一介の傭兵を雇うとは人材不足ですか?」
口元を歪ませて、わざと本題を言うように、焚きつけるような物言いをする。
「もう一つ、君に頼みたいのだよ……」
ハルストに狡猾な笑みが浮かぶ。
クルトは渋い顔をした。
「わかっているだろう…わざわざヴァルトロイテ≠ナある君が呼ばれた理由(わけ)」
「あんたらの目的は【至高の宝珠】…か……?」
ギリッと歯を噛み、煮えかえる思いを隠し、クルトはハルスト見て笑う。
至高の宝珠は特殊なジェムで、内包する高次エネルギーの量が通常の比ではない。
その昔、使い方を誤った人間が、世界をもう一度消しかけたと言われていた。
そして、時の権力者達によって、七つ存在する宝珠は散り散りに封印されることとなった。二度と解き放つことはしないと、確約を結んで。
「君が聡い人間で助かるよ。ちなみに、我々の持つ古文書には天使石≠ニ記載されていたがね」
天使石とはまた神団らしい。それこそチャイルドなんかよりも、よっぽど兵器だって言うのにな。
クルトはハルストの言葉に吐き気がこみ上げてくる思いで、内心毒づいた。
「わかっているのか…封印された強力な宝珠(ジェム)を呼び起こすことは、過去の過ちを繰り返すことになるって」
「使い方さえ誤らなければ、それは人類の宝として大いに活用すべきではないかな」
満面の笑みを浮かべ、さらりと言ってのけるハルストに、怖気がよだつ。
「それに君は我々に意見できる立場にはない」
耳元でハルストはクルトに囁いた。
クルトは握ったこぶしの力を強める。爪が手の平に食い込んで痛む。
わかっていたことだ。何をいっても彼はハルストの言うことに従わなければならない。それは森で、ケイサムの話を聞いた時点でわかっていたことだ。
これはまっとうな仕事の依頼ではない。ましてや、お願いでもない。
ただの脅迫だ。
「キルメルもすでに動いている……ジッジャノーラ嬢を知っているかな?」
「まぁ、名前くらいは知ってるけど」
確か、彼女は世界でもトップクラスのジェム研究者であったとクルトは記憶していた。しかも、キルメルの研究所に所属している。
「最高峰のジェムが奪われて、こちらが不利になるのはいただけない」
クルトは黙ったままハルストを見た。
「やられる前に、やらなければならないのだよ」
その言葉を聞いて、クルトからやおら笑みがこぼれる。
嘲笑だ。
結局のところ、どんなきれいごとを並べても、行きつく所は戦争というわけだ。戦いの結果でしか国をまとめられないとは、なんと程度の低い政治か。
ハルストもその意味が分かっている。だから、彼は高圧的な笑みを湛えてクルトを睥睨した。
空気がぴりぴりとして痛い。
ふっと、クルトが諦めたように息を吐いた。含み笑いをして、ハルストの目を見る。
「お国のややこしいことなんて、知ったことじゃない。俺は与えられたことをするまで……だろ?」
ハルストも、常に纏っている温和な雰囲気を醸し出す。
「そう、君は与えられた役をやればいい」
「で、何をすればいいのかな?雇い主の言うことには従うよ」
面倒くさいと言わんばかりに、頭を掻いた。
「最終決戦の日は、今日から丁度、百日目。その間に君は彼女を守りつつ、散らばっている【至高の宝珠】達を集めて欲しい」
「了、解」
「できるだけこのことは隠密に。彼女の存在は、本国の人間にも知られていないのだから」
敵側に自国の最終兵器が知られては対策を取られてしまう。だからこそ、チャイルドたちの情報は神団によって管理されていた。
仕事柄、情報通であるクルトもセルフィナリアの存在をはっきりとは知らなかった。ただ、噂では、神団には秘密兵器があると、まことしやかに言われていた。眉唾ものと思えるような、その程度の噂であったが。
シュライネでは、チャイルドは必ず神団に属さなくてはいけない。そして、チャイルドは民衆から崇拝の対象ともなっていた。神団指導のもと、彼らは「神の子」として祭り上げられているのだ。
その誰もが、名も顔もよく知られていた。
その中で、その存在がほぼ秘匿とされていたセルフィナリアはよほどのものである。
秘密兵器とはよく言ったものだと、クルトは思った。
クルトは彼女を初めてじっと見た。
金のくせ毛に、金の瞳。白く透き通るような肌。引き立てるような、品のよい黒い半袖のワンピース。その上に白いマントのようなスカートを着ていた。神団特有のその白い服は、長く脛ほどまであった。
胸はないが、なかなかの美人だな。年はちょい下かな?無表情なのが気になるが……などと、のんきにもクルトは彼女を見定めていた。
「フェードレッセ様、これを」
ケイサムが、赤い木箱を取り出して、セルフィナリアに差し出した。
それを見た瞬間に、クルトはサッと血の気が引く思いがした。
「あんた、それは!」
狼狽するクルトを一瞥して、セルフィナリアは受け取った木箱を開けた。
中に入っていたのは金の腕環(うでわ)だ。シンプルなその腕環に七個の金具がついていた。彼女が手に取ると、その金具がシャラリと音を立てた。
「君のところの村長が、好意的にも譲ってくれたのだよ」
ケイサムの表情を見て、クルトはギッと睨みつけた。
彼の取り出した腕輪は、クルトの一族が保管してきた、【至高の宝珠】用のホルダーだった。
クルトの一族は、その昔、宝珠の封印に関わり、その責の一端を担っていた。その事実に誇りを持ち、宝珠に関する情報や物をそうやすやすと他者に渡すことはなかった。
そう、よほどの事がなければ……。
好意的にだと?そんなはずはない。長は、渡さざるを得なかったんだ!
クルトは歯がゆくて仕方がなかった。だが、自分自身も彼らに協力しようとしているこの状況では、なにも言えない。
だが、あれ≠ヘ渡さなかったみたいだな。
クルトの中で、一筋の光が見えた気がした。しかし、それはあまりにも細く、危うい一本の糸だった。
セルフィナリアが腕輪を付けた。白い手首に、磨かれた金の腕輪はとても映えた。
「セルフィナリア、君にこれを託そう」
今度はハルストが懐から、螺鈿(らでん)の細工のされた小さな箱を取り出した。
中に入っていたのは、縦に長い棒状で、澄んだ濃い青の宝珠。
「シュライネの皇族が、保管してきた宝珠が一つ【蒼石(そうせき)】。君の糧となり、我らに恩恵をもたらさん…」
ハルストは、恭(うやうや)しくホルダーの金具に蒼石をカチリとつけた。
それでも、彼女は全く反応を示さない。まるで、そこで行われていることと自分は無関係だと言わんばかりだ。
眉根を寄せて、クルトは彼女を見ていた。
「それじゃあ、クルト君、彼女の事をよろしく頼みますよ」
そう言うと、ハルストは祭服を翻した。
「我々は職務があるので失礼する」
ケイサムはハルストの後を追って、祭場を出ていく。
二人残された、祭場は妙に静かだった。
「さて、どうしたもんかな…」
クルトはセルフィナリアを見やった。すると、それまで全くの無反応だった彼女もまた、クルトの目をじっと見た。
「まぁ、仲良くやりますか」
苦笑交じりに、クルトがそう言う。
セルフィナリアは、クルトの目を見たまま動かない。
見つめられっぱなしと言うのに、クルトは困ってしまった。ポリポリと頭を掻いていると、無表情のまま、セルフィナリアがぽつりと言った。
「たれ目…」
クルトは、頭上から落ちてきた大岩に頭を殴られたような衝撃を受けた。
今この状況で、興味があるのは、俺のたれ目だけかよ……。
頭を抱えてしゃがみこみ、大きく嘆息する。
理解不可能なチャイルドと一緒に宝珠を求め歩き、最終目的は戦争の勝利。不安がこみ上げて来て、クルトはうっすら目の前が暗くなった気がした。





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