第八章 蒼真
 第一印象は、お互い最悪だった…。

 今から十五年前、莉玖(りく)が八歳の時。
父親と共に、天宮の次期巫女に初めて引き合わされた。
暮葉一族は代々、天宮の影であった。莉玖もそのことをよく聞かされ、天宮を守ることが自分の使命だと思っていた。
 一つ年下の姫巫女に初めて会った時に、また会いに来ると約束して二週間が過ぎた。
 久苑(くおん)を誘って、やっとのことで天宮の屋敷に入り込むことができた。久苑は何度もやめよう、帰ろうとぐずったが、莉玖が強硬に押し切る形で、今、この間訪れた時に教えられた、姫巫女の部屋の前庭にたどり着いた。
 部屋といっても、天宮の屋敷は今どき珍しい和風建築の豪邸で、彼女の部屋は離れ一つとその前庭というから、なんとも豪勢だ。
 ガサガサと庭の草木を踏んで、縁側に出たとき、突然切りつけられた。
莉玖はとっさに、持っていた脇差し―その当時は忠光の携帯は許されていなかった―で、相手の一閃を受け止めた。
久苑はびっくりして、尻もちをついていた。
「何者だ!どうやってここに入った!」
襲いかかってきた少年は莉玖よりも少し年上で、色素の薄い黒髪を短く刈り、きりっとした印象を与えた。
少年は激しく莉玖を睨みつけ、ぎりぎりと刀を押し付けてくる。
なんだよこいつ!莉玖は刀を弾き飛ばして睨みかえした。
「やめなさい、蒼真!」
 奥から幼い女の子の声が聞こえた。赤い着物をまとったその少女が奥から出てきて、大声で止めに入った。その眼は怒っている。だが、莉玖を見ると、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「本当に、会いに来てくれたのね。暮葉莉玖…」
「約束だからな」
 莉玖は偉そうに笑った。
「貴様、旺(あきら)様に向かってなんて物言いだ!」
「お前こそ、何様だ!」
 莉玖は、少年に向けて、不機嫌そうに眉間のしわを作った。
「俺は仙堂蒼真(せんどう そうま)。旺様の守護だ」
 守護。その役目は神官の完全護衛だ。巫女の護衛は、仙堂の宗家の者がその生涯を賭してすることになっていた。
 蒼真の方が背が高いので、見下ろす形で莉玖を睨んだ。莉玖はそれも気に入らなかった。
「お前が仙堂の跡取りか…いきなり襲いかかってくるなんて無礼なやつだな」
 莉玖のやけに大人びた物言いが、蒼真には生意気に聞こえる。
「正面から入らずに忍びこむような奴に言われたくないな、しかも帯刀までして」
嫌そうに莉玖の脇差しを見た。
莉玖が刀を持っていたのは、久苑と修練に行くといって家を抜け出してきたためだった。
旺は二人の険悪な雰囲気にため息をついた。
「あがって。お茶を出させるから」
苦笑して、莉玖達を中に招いた。
「変なことしてみろ、叩き出してやる」
 蒼真は莉玖にだけ聞こえるように言って旺のそばに行った。
 いけすかねぇ!莉玖は蒼真の背を睨んでからふいっと顔をそむけた。その先に、久苑が座り込んだままいた。
 …忘れてた…すっかり失念していた久苑の方に近寄って行く。
 久苑は困ったように笑って、莉玖を見上げた。
「…びっくりしすぎて、腰が抜けちゃった」
「……馬鹿が」
 莉玖は呆れてその言葉しか出なかった。
ただ黙って手を差し出し、久苑を引っ張って立ちあがらせた。

それが二人の出会いだった。
 蒼真は睨みつけている莉玖を真っ直ぐにみた。
 それは、初めて出会った時とは違い、穏やかなものだった。
「区間貿易センタービルの警備をつぶし、道路に大穴をあけた凶悪犯達は、ひとりも捕まえられていない……さすが、と言うべきか」
 蒼真はやってくれたなと、言わんばかりだった。
どうやら、春香たちも無事に抜け出せていたようだった。
「蒼真さん!姉さんは…」
「御無事だ。ここで眠っておられるよ」
 蒼真の言葉にほっとしたように、朔は息をついた。
 久苑は努めて平静に蒼真を見て言った。
「蒼真、そこを通してもらえないか?」
 蒼真はうつむきかげんになって苦笑した。
「相変わらず甘いな、お前は……なぜここに俺がいるのかわかるだろう」
 すっと、顔をあげた蒼真の眼は鋭く莉玖達に向けられた。
「朔を渡してもらおう」
 びくりと朔の肩が揺れた。
 朔の目には明らかな動揺が現れていた。
「蒼真!わかっているのか?白鷺がやろうとしていることは…朔を…渾を使うということは……世界を壊すということだ!」
 久苑らしくない大声で、蒼真に訴えた。その表情は悲痛に歪んでいた。
「わかっている。…すべては旺様のためだ……」
そう言った時、蒼真は少しだけ三人から目をそらした。
「…今、その旺の命が危ないとわかっていてもか」
 莉玖は嫌悪感を露わにした。
「だからこそ、朔を渡してもらいたい。自分自身が、一番良くわかっているはずだ…『朔』と言う存在の意味を!」
 朔の目を見て、鋭く言った。
 …わかっている……初めからずっとわかっていた…
 蒼真の言葉を聞いて朔はぐっとこぶしを握り締めて、蒼真の方へ行こうとした。
しかし、すっと莉玖が腕を差し出し、朔の目を見て、行くのを止めた。その眼には有無を言わせぬ力があった。
「たとえお前が旺の影として自ら向こうに行こうとしても、俺は渡吏として、行かせるわけにはいかねぇ」
 はっとして、朔は莉玖を見た。なぜ、そのことを莉玖が知っているのかと、いぶかしんだ。
「莉玖、それってどういう意味…」
 久苑が、険しい顔をした。
「久苑、名前だ」
「名前……まさか!」
 莉玖は端的にしか言わなかったが、久苑にはそれで十分理解することができた。
 ―名―最も短い祝(のりと)であり呪(まじない)。その物の存在を示し、縛るもの…
「莉玖、どうしてお前が知っている…これは、天宮家でも最極秘にされてきたことだ」
 蒼真が、険しい目で睨んできた。
「旺が…昔、朔の話をしていた旺に聞いたことがある…」
―ずいぶん変わった名前なんだな
―えっ?
―『旺』と『朔』だよ。男みたいな名前だし…字だって…
―……真名じゃ…ないから…
―それって!
 莉玖には遠い過去の情景が今でもありありと思い出せる。あの時の旺の悲しそうな笑顔が脳裏にこびりついて、忘れられなかった…。
「あの人は…全くお前に甘い…」
 蒼真は苦々しく言った。その顔が、少し悔しそうに歪んだ。
「天宮では巫女となる者のことを『旺』と名づけ…旺の影武者となるものを、『朔』と名づけることになっている。いわば、代々襲名されてきた役職名」
 蒼真は朔を見た。
 暗い顔をして、朔が重い口を開いた。
「巫女を守るための護り女(まもりめ)として育てられ、万が一、巫女に危険が及べば、その身を身代わりとして立てるための存在…それが、朔」
 つまり、今回のように、巫女が危険な状態にさらされた場合、朔が身代わりとなるはずだった。旺が逃がさなければ…
「『旺』は光輝く者…太陽を表す言葉、『朔』は新月…闇の者を表す言葉ということか」
 久苑が珍しく吐き捨てるように言った。
 古くから続く因習。巫女を崇める一方で、朔という影がどれほどの犠牲を払ってきたのか、考えるだけで嫌な気分になった。
「奴らが必要としているのは天宮の直系の血…朔を差し出せば、旺様はこのまま解放される」
莉玖は体中の血が沸騰するほどの怒りが、こみ上げてきた。そして、抑え込んでいた気持ちを露わにした。
「やっぱりお前はいけすかねぇ!」
 莉玖は忠光を抜き放った。
「莉玖!」
 思わず久苑は制止をかけた。このまま、二人が戦うのを見たくはなかった。
 しかし、莉玖は刀を構えて冴え冴えとした眼で、蒼真を睨んだ。
蒼真は一度目を伏せ視線をそらし、そして刀を抜いた。
「邪魔をするなら俺は、旺様の守護としてお前を倒し、朔を奪い取るまで!」
「ならば俺は、渡吏としてお前を殺す」
双方同時に床を蹴った。
甲高く刀のぶつかる音が響く。
ぎりぎりと切り結んで、どちらも引こうとはしなかった。
「…覚えているか?初めて会った時もこうして切り結んだことを」
 蒼真は寂しそうな、懐かしむような眼をした。
 たが、それとは引き換えに、莉玖は苛烈な眼差しを蒼真に向けた。
「あの時とは違う!」
声を張り上げると同時に、莉玖は蒼真の刀を払い上げ肩口を斬りにいく。蒼真はその払い上げる力を逆に利用して側面に入り込んだ。そこから、莉玖の袈裟がけを狙う。
莉玖は、振り下ろそうとした刀の軌道を途中で変えて斜め後ろに片手で走らせ、蒼真の刀をはじいた。そのまま体勢を整え、蒼真に正面から対峙する形を取ると、両手で刀を上段で持ち直し、一気に加速して、たたみかけるように連撃を与えた。
刀同士がぶつかり、激しく音がする。
 莉玖は蒼真の横を通り抜けて、舌打ちをした。
 攻撃は蒼真の左腕一か所をかすめただけだった。
「……すごい…」
 朔は息をのんだ。彼女自身が剣術を学んでいるためさっきの攻防で二人の強さがよくわかった。
「朔、たとえ莉玖が負けたとしても、蒼真について行ったらだめだ」
 久苑は重く言った。
「どうして…」
 朔は莉玖達が戦っている今も、自分が身代わりになればすべてまとまると思っていた。
 旺の…姉のために生きてきた。旺がいて初めて朔という存在が認められていた。そういう風に育った。それに、ただ、血が必要なだけなら、渾の力は関係ないと思っていた。
 だから朔は莉玖や久苑に止められる理由がわからなかった。そして、莉玖が旧友と思しき蒼真と刀を交えるわけがわからなかった。
 久苑の握り締めた手のひらに爪が食い込み、こぶしは血の気がうせて、白くなっている。
「白鷺の計画…それは、陰陽反転作用による冥界との同化と輪廻の破壊………この意味、朔なら分かるだろう?」
 朔は久苑の言葉を聞いて蒼白な顔をした。
 天宮の直系である朔も、幼いころから陰陽関係における最大の禁忌を聞かされてきた。それを起こさないようにするための神官家であると、何度も何度も教え聞かされた。
『天秤崩し(てんびんくずし)』
 世界はまるで天秤。天界は陽、冥界は陰、そして陽の気と陰の気が絶妙なバランスを作り保つ狭間が、人の生きるこの世。
―気―目に見えぬ生と死を司るこの世の大きな流れ。それは輪廻の元といわれる天元―森羅万象を形作る元―の流れを指す。
陰と陽二つの顔を持つ気は、お互いに惹かれあい引き合う性質を持つ。
 つまり、陰陽は表裏一体。陰であれば陽、陽であれば陰に、触れ合えば、力の強い方にその質を変えていく。
暮葉宗家が滅んで、陰の気のバランスが崩れた。天秤の軸である調律者・水知は、宗家を滅ぼした分家となり、その役目を果たさなくなった。傾いた天秤を直そうと、必死になった神官家の努力もむなしく、世界に陽の気が漏れ出ている。溢れ出ぬように、巫女という存在が楔(くさび)として今のぎりぎりの均衡を保たせている。
だが実情、十分といっていいほどこの世は片方の陽の気に満たされている。もし、突如現れた強力な陰の気に引き込まれれば…傾いた天秤は急激な変化によってひっくり返り、陰の気にすべてが満たされてしまう。
それは、冥界にこの世を侵食させることになる。
人は陰の気に犯され鬼化し、理性を失う。
陽から陰に流れている気は、急激な気の逆流によってその流れを壊してしまう。人の魂の輪廻が崩壊し、死者はその場に留まることしかできなくなって、生ける屍と化す…。
そして鬼と死者の世界が生まれ、人≠ェ消える。
渾という増幅器を使えば、それはさらに容易となるだろう…
朔はぞっとした。もし自分が、白鷺の計画に手を貸すことになれば…確実にこの世は壊れる。そんなこと、考えもしなかった。
「だからと言って、お前の存在が変わるわけではない」
 話が聞こえていたのか、蒼真が構えなおしながら、朔を横目で見た。
「なぜ肩入れする!計画を行えばただでは済まないんだぞ!」
久苑は蒼真に食ってかかった。あまりにも無関心で冷たい言葉にはらわたが煮えるようだった。
 蒼真は平静に言った。
「ただで済まないのは一般人だけ。俺たちのような者はあまり影響を受けない…むしろ俺達は、人の世で無くなった方が自由になれる」
 久苑は柳眉を釣り上げた。いつも温和で冷静な久苑が、その怒りをあらわにした。言葉は発しなくとも、その纏う雰囲気がびりびりして痛いものになっていた。
 それは、静かでいて激しい流水のような怒りだった。
「自由だと?」
 莉玖は睨みつけたまま、訝しんだ声を上げた。
「そうだ…血という束縛の鎖を断ち切ることができる」
久苑は、はっとして、蒼真の顔をまじまじと見た。
蒼真は確信と決意の眼をしていた。
久苑はその表情を見てとても辛そうな顔をしてうつむいた。
蒼真…お前は旺を……
 やり方は間違っていても、それでも願ってしまいたくなること…久苑にもその蒼真の気持ちがわかったのだ。出会ってから十年前のあの時まで、親友として五年間ずっと見てきた久苑だからこそわかる気持ちだった。
―ねぇ、蒼真…巫女は恋をしてはいけないんですって…
 静かに目を伏せた蒼真の耳に聞きなれた声が響いた。
ずいぶん昔のことなのに、その言葉と悲しそうな目と自分の中の慟哭だけはやけにはっきりと思い出せる。
蒼真の心に広がる黒い海がその色を濃く深くして侵食していく。
 目を開き、莉玖を見た。蒼真は嫌悪を露わにした。
「ぬるく手を抜くなよ…どのみち唯一、計画を止めることができるお前と久苑は、殺さなくてはいけない」
 莉玖はその言葉を聞いた瞬間驚いたように目を見張ったかと思うと、押し殺すように笑い始めた。
「くっくく…ははははは…!手を抜く…確かに…今までの俺はどうかしていた。獲物を前にして嬲りたかったのかもしれない」
 それは異様な光景だった。
 莉玖はこの状況で嗤っている。あまりにもおかしいのか、うつむいて口元を押さえても、笑いが止まらなかった。
 ふっと顔をあげたとき、口元は歪んでいるのに、目は全く笑っていなかった。
 朔は冷たいものが、背中を滑り落ちるような感覚を覚えた。それは絶対的な恐怖…。怒りなんて生易しいものではない。殺意だ。
 やばいな…。久苑ですら思わず冷汗が出た。こんな莉玖を見るのは、久しぶりだった。
まるで、解き放たれた獣の姿を思わせる莉玖の殺気は、近くにいるだけで、久苑達すらも斬り裂いてしまいそうだった。
「…この十年、俺が一日でもお前のことを忘れた日があったと思うか?柚季(ゆずき)を殺したお前を許したとでも思ったか?」
 莉玖は刀を少し開き左眼につけるように構えた。青眼の構え…莉玖本来の構えだ。目から感情の一切が消えた。
「ユズキ…?」
 朔は莉玖の言った名前を繰り返した。誰のことを言っているのか問いたくて、久苑を見やった。
 久苑は今にも泣きそうな顔で、答えてくれた。
「……妹だよ、莉玖の…。十年前、六歳だった柚季ちゃんは…莉玖をかばって、蒼真に斬られたらしい……」
 朔は息をつめた。この殺気が、莉玖の痛みなのだとわかった。十年前、なにも知らずに生きていた自分に、今ここで何かを言う権利などないと思った。
 久苑は見たわけではなく、聞いたことなので、どういう状況だったのかわからない。それでも、仙堂が暮葉を襲って莉玖以外の宗家の者すべてを、皆殺しにしたことは事実だった。
 蒼真は莉玖の殺気を受けても沈黙したままだった。しかし、変らないその表情の奥で、安堵していた。
…よかった……これで……
 蒼真は構えを八相に変えた。蒼真の目からも迷いが消えていた。
 二人は一瞬のうちに斬りあいを再開した。しかし、さっきのような応酬ではない。無駄口をたたかず、刀のぶつかる音のみが響いた。
 お互いが急所しか狙わない。それは、容赦のない殺し合いだった。
 久苑は今にも崩れそうな体を必死で保とうとしていた。
 …止められない…止める資格もない…ただ、二人が殺しあうのを見ていることしかできない……
 莉玖の憎しみも、蒼真の願いも久苑には止めることはできなかった。どちらの思いも分かってしまう。二人にしか、解決できない問題だった。
奥歯をかみしめ、ただ、じっと久苑は二人の戦いを見守ることしかできなかった。
 何合刀を交えたかわからない。十分か…二十分は経っただろうか。無数の切り傷が二人の体に刻まれ、お互いに息が上がっていた。
一度大きく間合いをあけて沈黙していた莉玖が、初めて蒼真に向かって口を開いた。
「……のか…」
 蒼真は小さな声で言われた言葉を聞き取ることができなかった。
「なんだ?」
「本当に旺のためなのか?お前のしていることを…したことを…旺が望んだって言うのか!」
 それまで感情を殺していた莉玖が険のある目をして、叫んだ。
 蒼真は一瞬目をそらした。わからないくらい小さな動揺が蒼真に広がった。
 莉玖は沈黙の切りあいの中ずっと考えていた。
もともと、力は互角。このままではお互い消耗して倒れるだけだとわかっている。どうすれば蒼真の本音を聞き、蒼真を倒すことができるのか…と。
初めから蒼真が何も語っていないことはわかっていた。
蒼真は昔から激情家だった。そして、本音を語るときは、必ず苛烈なまでの眼差しで相手の目を見据えて話す。
人の本質は十年なんかでは変えられない。実際最初に旺のためを語ったとき、目をそらした。蒼真の本心を隠す時の癖だった。
「旺に自由を与える?そんなものお前のエゴでしかない!」
莉玖の言葉に、ついに、蒼真の顔色が変わった。
「お前に何がわかる!」
蒼真は怒りを露わに一気に間合いを詰め、斬りかかってきた。刀が激しくぶつかる。
「俺の思いが…わかるわけがない!」
 振り下ろされる一撃一撃がズシリと重い。蒼真の思いを…心を刀が語っているようだった。
 重く、だが単調な攻撃の一つ一つをぐっと受け止めて、莉玖はもう一度、蒼真を睨んだ。
「わかるかよ!俺は…お前じゃねぇんだ!」
 身も蓋もないが、真実であった。
 大きく振り下ろされる刀を絡め取って巻き上げた。刀は空中に放り出され、蒼真に大きな隙ができた。
 莉玖はその懐へ飛び込んで殴り倒した。
 莉玖は歯噛みして、うつむいた。
そして、唇を震わした。それは、あまりに小さな声で呟かれたので誰も聞き取ることはできなかった。その莉玖の本心を。
怒りではなく…悲しみの表情で発せられたその言葉を。
……話してくれねぇんだから…わかるわけねぇだろうが……
莉玖は顔をあげると苛烈な目で蒼真を問い詰めた。さっきの本心はもう消えていた。
蒼真は莉玖の言葉を聞いて自嘲するように口を歪めた。わかってほしいと思っていなかったことを思い出していた。
両家はただ守ろうとしただけだ。だが、お互い長い年月の間に生まれた溝…仙堂の拭いきれない憧れと…妬み…そして俺は…
「妬ましかった…暮葉が。汚いことをしてそれでも誇りを持って、濁ることのない目をしているお前たちが!」
 憎悪して莉玖の目を見た。
「そして、いつも求められるのは暮葉(おまえ)だ!」
天宮の宗家…歴代の当主も巫女もいつも暮葉を信用し頼っていた。
 同じようにしていても仙堂はいつも二番手だった。そして、いつしか仙堂は欲するようになった。
 一度でいい…天宮の一番が欲しい……と。
「…彼女が求めたのも…お前だった!」
蒼真は落ちていた自分の刀身を握り、莉玖を斬りつけた。
とっさのことで、莉玖も一瞬逃げるのが遅れた。
正面を袈裟に斬られて、思いっきり出血する。
「ぐっ痛ぅ…!」
 莉玖は痛みと共に視界がゆがむような目眩がした。
 刀身を握っているため蒼真の血がとめどなく手から流れている。その血を吸うように、刀が黒く刀身の色を変えていった。
「俺達仙堂は、神より滅魔の力を与えられた一族…その血は、鬼や妖には猛毒。その身に鬼を宿す暮葉にとって俺達は天敵だ…」
 蒼真は初めからこうしていればよかったと、笑った。
 莉玖は深呼吸をしてしっかりと刀の柄を握りなおした。
 少し…血を流しすぎた…毒はそれほど入っていない。
ようやく本音が聞けたことで莉玖の目に光がともった。
 お互い次の一撃で決めるつもりだった。
 じりじりと間合いを詰め、一足一刀の間―一振りで相手を斬れる所―へと入りこんだ。
 刹那。
 二人の渾身の一撃は目にもとまらぬものだった。
 崩れ落ちたのは、蒼真だった。
 莉玖も首筋を斬られて出血していた。あと数センチ入り込んでいたら、頸動脈を斬られ、倒れていたのは莉玖の方だった。
「感情が出すぎだ」
 莉玖は蒼真に吐き捨てた。
感情を消すことで、剣は冴える。だが、感情のままに刀を振るえば、その動きはとたんに読みやすくなる。
それを昔教えてくれたのは…他ならぬ蒼真だった。
「かはっ…はぁはぁ……どうして、殺さない…!」
 蒼真は満身創痍で立ち上がり、莉玖を睨んだ。
「お前が、守護として俺に向かってくるなら、渡吏として殺すつもりだった。だが、仙堂蒼真が俺に向かってくるなら、俺も暮葉莉玖としての判断でお前を斬れる」
 莉玖は怒気をはらんで蒼真の胸倉をつかんだ。
「誰が、柚季のいる冥界にお前を送ってやるものか!自分の罪に足掻き苦しんで生き、お前が心から暮葉の墓前で謝った時…俺がその身を業火で焼いてやる!」
 手を放して、蒼真に背を向けた。
 蒼真は思わず笑ってしまった。
 ……甘いなぁ。

 鈍い音がした。
「残念。あんたはここで幕引きだ」
 蒼真は突然のことで、なにもわからなかったが、奔流する血の匂いをかいだ。
 突如として現れた鬼の腕が、蒼真の体を後ろから貫いていた。
 腕が引き抜かれ、どっと溢れ出る血…
 蒼真の体がゆっくりと倒れていく。
 莉玖達が、蒼真の名を叫んだ。


 崩れゆく中、蒼真の脳裏によぎっていく数々の姿。
 幼い日の記憶…つい先日のあの瞳…すべてたったひとりの記憶しか思い出せない。

 これは、罰なんだろうか…

 どうしようもなく焦がれた…ただ、それだけだ
 初めて会った時、その凛とした瞳に惹かれた
 四つも年下の我が主
 君を守るために生まれてきた俺にとって
 君と過ごす時間はただの仕事のはずだった
 でも……
 その澄んだ声に名を呼ばれるたびに
 強くないのに強くあろうとするその姿に
 その優しい微笑みに
 想いが……募って……

   小さな肩を抱きよせ
 長く艶な黒髪に指をからませ
 あでやかな着物から覗く白い肌に触れたくて…
 ただ、君を欲した
 君の瞳に写っているのが俺でないと気付いても
 君の心が俺に向かないとわかっていても

   たとえ禁忌だとしても…!

 自分の激情に気付いたから…その思いに重しをつけ、黒い海に沈めていたんだ。
 あの時までは……





←Back Next→

Worksへモドル