第五章 出発の前に
 朝市で賑やかな商店街を一人歩きながら、朔はあたりをキョロキョロと見まわした。
「このあたりのはず…」
しかめっ面をして久苑の作ってくれた地図を見ていた。なぜ今朔が一人でこんなところを歩いているかというと、数十分前に戻らなくてはいけない。

「春香さんのお店?」
 朔は眉根を寄せて莉玖を見返した。
「あぁ、俺はこれから誠一んとこに行ってくる。その間に春の店に行ってお前は頼んである品物を貰っといてくれ」
 莉玖は朔の顔は見ずに朝のコーヒーを飲みながら、携帯情報端末の画面に映る文字をおっていた。
「久苑は?」
「僕も、誠一の家に帰って、自分の準備をしないといけないから」
 久苑はごめんね、と困ったような笑顔をした。
 久苑は誠一と一緒に暮らしている。誠一の情報屋を手伝う傍ら、久苑自身も陰陽師として占いとかをして生計を立てている。
「つまり、時間の有効利用法としてお前が春のところに行けばいいわけだ」
「ちょ、ちょっと待って!私、ここの地理を知らない。春香さんのところになんて…」
思いもよらないことを言われて、朔の目が泳いでいる。
「だいいち、なんで私が?依頼人なのに?」
そうだそれだと言わんばかりの顔で朔が莉玖の顔を見た。
 すると、莉玖は馬鹿にしたように言った。
「だってお前、俺の下僕だろ」
 一瞬、朔と聞いていた久苑が理解できずに固まってしまった。
「り…莉玖?お前…それは…」
 さすがの久苑もわなわなと怒りを表情に出し始めた朔を見ておろおろしている。その間も莉玖は優雅にコーヒーを飲んでいる。
「この…最低!あんたって人は…」
「何でこの俺が最低呼ばわりされなければならねぇんだ」
 怒り爆発の状態でまくしたてようとした朔の言葉を途中で、声を荒げることもなく、淡々とさえぎった。そのため、朔は追求するタイミングを失った。
「そもそも、お前の最初の依頼はクレハとミズチを探すこと。その依頼料はお前自身…間違ってねぇだろ?」
 ぐっと押し黙った朔を見て莉玖は無表情のまま続けていった。
「この依頼が完了した時点で、お前の身体(からだ)は俺のもの。次の依頼は別料金だ。依頼内容が違うんだからな」
 朔は莉玖が横暴なことを言っているようでいて、筋が通っているため反論できない。
「後払いの依頼料、建て替えた情報料、その他もろもろ依頼にかかる諸経費…そうそう、お前の治療費とうちにいる宿泊費…」
そして莉玖はおもむろに立ち上がり嫌味ったらしい笑顔を向けた。
「さて、お前は俺に意見できる立場?」
 敗北感。この言葉を受けて、朔は初めてこの上ない敗北感を味わった。ぎりぎりと奥歯を噛み、こぶしを握り、とびかかりたいし、暴言を吐いて怒りを露わにしたいのだか、そうすると余計に墓穴を掘ることが目に見えていたので我慢した。
 しかし、その見えすぎている心の内がどうにも笑いを誘う。久苑は顔をそむけ、口元を押さえて声を立てないよう肩で笑っていた。

 そして、今に至る。
 朔は思い出すだけで、莉玖の態度がムカついて仕方がなかった。あんな風に言うものでもないだろう!しかし、言い返せないうえに、今こうして春香の店へと向かっているのだから、莉玖の思うつぼなのだろう。朔の性格上、貸しのある人間の言うことをむげにはできなかった。しかし、結局春香の店までの地図を作ってくれたのは久苑だった。そう言うとこも含めて朔の中で莉玖という存在は嫌味で憎たらしいやなやつに大決定していた。
「あった!」
 春香の店は莉玖の家のあるとこをから通り二つ向こうにある商店街の中の片隅に立っていた。こぢんまりとした、可愛らしい感じの雑貨屋のようだった。
 朔は木造の扉を押しあけた。キィっと少し錆びた鉄の擦れる音がした。
「いらっしゃい…ってハジメかぁ。」
棚に商品を並べていた春香が振り返って笑みを浮かべた。
「待ってたのよ。時間が少なかったから量は集めれなかったけど、質のいいものそろえといたから。」
その場に商品を置いて、入口に立つ朔の手を取り奥へ連れていく。
「えっ?ちょっと待ってください。どういうことですか?」
 引きずられながら奥へと入っていった朔は、春香の言っている意味がよくわからなかった。
「どういうことって…あなたの武器よ」
 奥のテーブルの上にかけてあった布を勢いよく取っ払うと、そこには、白木ごしらえの野太刀(のだち)に似た長めの刀が五本並んでいた。
「これは…」
「莉玖の依頼は、弾薬とハジメ用の刀を用意すること。刀のタイプは莉玖が教えてくれたの。あとはハジメが自分で触って選ぶだけ」
 春香は片目をつぶってみせた。
 朔は戸惑った。自分は一度も刀が扱えるとは莉玖に言っていなかった。しかも、自分が使っていたのが白木ごしらえの長刀なんてもってのほかだ。いつ気付いたのか…
 あっけにとられている朔の姿を見て、春香は苦笑した。
 全く、リクは水面下で動きすぎなのよ…。
「さ、武器は自分の身体の一部!相性は自分で見ないと意味ないでしょ。さっさと見る!」
 半ば押し切られる形で朔は刀を選び始めた。
 四本目の刀に触れたとき妙にしっくりきた。どうやら、これが手に馴染むようだった。銘(めい)を見てみると『咲(さき)親(ちか)』とあった。聞かない刀匠の作だった。
「それ、刀匠の名じゃなくて、刀そのものの名前らしいよ」
 あまり興味無さげに春香が言った。
 驚いた風に朔は春香を見た。
「なんでも、刀は名前を呼ばれた方がなついてくれるから分かりやすくそうしてるんだって」
 意味分かんないでしょって春香は肩をすくめた。
じっと朔はこの刀を見た。咲親という名のこの刀が何だか気に入ってしまった。
「春香さん。私、これにします」
 まっすぐな目で春香を見た。
 そう、と言って春香は笑った。
「じゃあ、私の手伝いしてもらおっか」
「えっ?」
「莉玖から聞いてない?今日の晩には《扉(ゲート)》に向かうからその準備しとくようにって。ついでに、午前中のうちの店の手伝いも。それが、私への報酬なのよ」
 自分勝手に事を進めて、しかも、ほとんどのことを朔には知らせていない莉玖のやり方に、朔は思わず頭を抱えたくなった。

昼ごろに莉玖と久苑は誠一の店にそれぞれバイクを乗り付けた。
0区は計画性もなく住居や建物を作っていったために、入り組み細い路地が無数に広がっている。そのため、車などよりもバイクなどのほうが便利だった。
「邪魔するぞ」
 莉玖が扉を開くとベルがこ気味よい音をたてて莉玖達を中へと迎え入れた。
「来たな。先に奥に行っててくれ」
 カウンターに座っている老紳士に自慢のブルマンをふるまいながら、誠一は顔を莉玖達の方に向けた。
 頷くだけ頷いて、二人は奥の部屋へといった。
 昨日の夜にこの店内で銃が発砲され、マスターが人を二人殺していようと、変らず何とも言えない平穏な日常が今ここで繰り返されていた。
 それが、0区というものだった。
 数分待つと、誠一が奥の部屋に入ってきた。
「こいつが、お望みの情報だ。それからこいつも渡しておく」
 誠一が渡してきたのは昨日もらったのと同じ情報端末と、請求書だった。
「おい、なんで店の修繕費と迷惑料が入ってんだよ」
 莉玖は不機嫌そうに顔を歪めた。
「当たり前だろ。お前の言葉を借りるなら、俺もボランティアで動くなんてことはないんでね」
 軽く舌打ちをして、莉玖はポケットからカードを取り出して誠一に渡した。
「毎度あり」
 カードを受け取って支払いを済ませると、誠一は後ろ手に手を振りながら喫茶店のほうに戻っていった。
「じゃあ莉玖、僕は支度してくるよ」
 久苑は部屋から出て廊下の途中にある階段を上って行った。
 一人部屋に残された莉玖は誠一の予備の小型パソコンに向かい情報をさっそく見始めた。
 画面に映し出される影牙の極秘情報を見ながら、莉玖の顔がどんどん険しくなっていった。これは…俺の最悪の予想が当たりそうだな…ぐっとこぶしを握りこんで画面を睨みつけた。
 その時、鈴の音が鳴った。莉玖ははっとして、思わず立ち上がった。波紋を広げるように、莉玖のいる一画だけがまるで違う世界に入り込んだように静かに鈴の音だけが響いていた。
「…こんなところにあなた直々に来るなんて珍しいこともあったもんだ」
 目をすがめて、誰もいないところに話しかけた。
 周囲の光が飲み込まれるように消えていった。
たった今まで誠一の仕事部屋にいたはずなのに、莉玖は今、闇の中にひとり立たされていた。視覚的に、その空間が無くなった。
「それだけ事が大きいということだ」
 闇の中から声が聞こえ、姿が現れた。金の双眸に金の髪を短く切り、襟足だけ腰まで伸ばして装飾の施した髪留めでまとめ、臙脂色(えんじいろ)の外套(マント)を羽織った長身の男の鬼が腕組みをして今まで何もなかった闇の中に立っていた。
 鬼はゆっくりとした動作で莉玖に近づき、横に並んだ。そして、外套の内から黒い紙の文を差し出した。
「命を下す」
莉玖は文を受け取りながら横目で鬼の顔を見て、ばらりと勢いよく黒い文を広げた。そこに書かれている白い文字を目で追って、読み終えると息をついた。
「確かに承りました」
文を丁寧に畳んでから、今度は鬼をしっかりと見据えた。
 鬼はふっと笑った。
「相変わらずお前だけは我(われ)を恐れんな。さすがは緋鳶を憑き従えし者か…今回の事、しかと決着をつけてこい」
 闇に溶け込むように姿が消えたかと思うと、そこはさっきまでいた闇の中ではなく、誠一の仕事場だった。
「言われるまでもない…」
 椅子に座りこむと軽く天井を仰いだ。
「今、冥界からの使者が来てた?」
 莉玖が振り向くと少し青い顔をした久苑がいた。
「闇のにおいと…寒気のするほどの鬼力の残滓を感じるよ」
腕をさすりながら久苑は苦笑した。
「あぁ、いつもの使い魔なんかじゃなく今回は太子直々に持って来たからな」
 莉玖は面白そうに言った。
 莉玖は渡吏という冥界と人界の間を取り持つ仕事をする一族に生まれている。冥界からくる迷惑な悪鬼の始末や、鬼に堕ちた人間の始末をつけること。人界に不要な量の陰の気が満ちないように調節する役割を担っている。
そして、その渡吏に命を下すのが人の生死を司る泰山府君、先ほどの鬼・紫頼(しらい)太子であった。彼は、冥界の最高権力者・閻魔王の息子で冥府における総統の立場にいる。
普段は紫頼の使いが持ってくる文を今回は本人が直々に持ってきた。それだけ今回の事に冥界は重きを置いているということであった。
「見てみろよ」
莉玖は首をふって、つきっぱなしのパソコンの画面をさした。
久苑は画面を覗き込んで、表情を曇らせた。
「これって…鬼を集めているのか…?」
「金の流れを見ると水知の連中も使っているようだ。鬼に…天宮…そして、こいつ…」
莉玖が画面をいくつも出し、順を追って指を差していく。それを眼で追っていた久苑は狼狽した。
「まさか…!」
「…最悪だろ?連中、世界をひっくり返すつもりらしいぜ」
嫌悪感を露わに吐き捨てるように言う莉玖は一方で楽しそうな雰囲気を含んでいた。
「…よくここまで探れたものだ。相変わらず誠一さんのハッキング能力には舌を巻くよ」
 久苑は大きくため息をした後で言った。
 誠一は情報屋としてその名を知らぬ者がいないほどの凄腕だ。その理由として、天才ハッカーの名をほしいままにする腕を持ち難攻不落と言われた、白鷺のデータバンクをこうして攻略してみせることができるからだ。そう言った一芸に秀でし者が多く集っているのもこの0区の特徴だった。
「さすが、だろ?」
 誠一がコーヒーを三つ持って部屋の入口に立っていた。
 中に入ってきて、二人にコーヒーを手渡すと自分の分を一口飲んで、少し真剣な口調で話を切り出した。
「…今回の件、お前らの過去と関係してるんだな」
 莉玖と久苑は沈黙した。それが答えとなっていた。
「昨日、あの後なんかあっただろ?莉玖は二割増し無表情だし、久苑は笑いを作っているのがわかる」
 莉玖は目を伏せた。久苑はコーヒーカップへと視線を落とした。
「…闘ってるんだ…僕らは…十年前この0区に落ち延びた時から変わらずに今も…」
「時が動く。俺らが着けなくちゃいけねぇ決着の時が迫っているんだ」
 莉玖と久苑が言葉にしながら見せた瞳に映っていたのは、暗く悲しい闇の色だった。

0区に朔が来てからというもの、常に体験したことのないことの連続だった。今も春香の店の手伝いで、店先の掃除をしているところだった。なんてことないその作業も今まで天宮という旧家に住み、そこの姫として扱われてきた朔にとってはじめて感じる、人の日常だった。
 商店街を行きかう人々の姿。物売りの声。雑談をする商店の店主と客の会話。どれも、一区では目にすることのなかったありふれた日常を見るとなぜか朔の心の内が温かくなっていった。
 穏やかなときの流れ…今まで0区にあるのは殺伐とした荒廃の風景だと思っていた。でもここに住む人たちは、生活をしている…本当の日常を。
ぼおっと人の流れを見ながらそんなことを考えていた朔の肩が後ろからたたかれたた。
びくっとして振り返ると、微笑む春香の顔があった。
「休憩しよっか」
店の奥のテーブルには、二人分の紅茶とお菓子が用意されていた。
「何か面白いものでも見つけた?」
 春香は楽しそうに紅茶に角砂糖をぽとぽと入れながら聞いてきた。
「…人が…たくさんいて、笑ってました。ここは0区なのに」
 ぽつりとつぶやくように漏らした朔のその言葉を聞いて思わず春香は噴き出してしまった。
 ごめん、ごめんと言いながらテーブルを拭く間も、春香はずっと笑っていた。
「確かに、0区は普通の区とは違うわ。でも、どんな街にいても人は暮らしていくものよ」
 再び腰を落ち着けて春香がやさしい笑みを浮かべて朔を見た。
「そうですよね…私はそういうものとはどうにも無縁で…」
紅茶のカップを少しさみしげに朔は見つめた。
「これからまた、私が春香さんの普通を壊してしまう…」
 少し驚いたように目を見開いたあと、春香は困ったような笑みを見せた。
「平和なんて唐突に壊れるものよ。ここじゃ珍しくもなんともないわ」
「でも…!」
 《扉(ゲート)》突破作戦決行を控えて、朔は不安に駆られた。
自分のせいでこんなにやさしい人がもし、死んでしまったら…そう思うだけで胸がつぶれそうだった。自分はそんなことをしてもらえるような人間ではない気がしてしまって、本当は一人で一区に行って、姉を探せたらどんなに良かったかと何度も思った。
 朔の暗い表情からそう言ったことを読み取った春香はやさしく言った。
「前にも言ったでしょ。人を助けて死ぬのが私の本望だって」
「どうして…?」
 悲しそうな顔を思わず朔はしてしまった。朔にはわからなかった。つい先日知り合ったばかりの朔に対してなぜそこまで春香はしてくれるのか。自分の命を懸けてまで…。
「私はね、守りたいの…。私の思う日常を」
 テーブルに頬杖をついて下から朔の顔をのぞき見上げた。
「春香さんの思う日常?」
 春香の瞳を見返し、わからないという顔をして朔は聞き返した。
 ふっと笑って春香は言った。
「私が店をしているところに、不機嫌そうなリクが来る。ほえほえした雰囲気を纏ってクオンも傍らで微笑んでいる」
目をつぶって椅子の背にもたれかかって、春香は想像しているようだった。
「で、セイ…誠一のことだけど、セイの入れたコーヒーを飲みながら、くっだらないことで喧嘩するの」
 そして、瞳を開いて朔を見た。
「それで…傍らでハジメが笑ってる」
 虚をつかれて朔は驚いた顔をした。
「知ってた?ハジメはまだ私の前で笑ってないのよ。その笑顔を見たいのよ」
はっとしたように朔は春香を凝視した。そのあとで困ったように微笑んだ。
「ありがとうございます」
 朔は冷めてしまった紅茶で唇を濡らした。
「…優しいですね。それに、素敵な生き方です」
 ついていた頬杖をやめて、肩をすくませながら背もたれにもたれた。そのあとで腕も足も大きく伸びをして苦笑した。
「なんてね。それも確かにあるけど…本音は…喧嘩を売りたいの」
 朔は怪訝そうな顔をした。
「ちょっと昔話ししようか?」
一つ一つ思い出すように、春はぽつり、ぽつりと語りだした。

「春香、今日からこの子たちを家(うち)で面倒見るから。とりあえず、風呂入れてくれんか?」
父さんが連れて帰ってきたのは、血と泥にまみれ疲労した二人の男の子だった。一人は白髪で、乱れていたが男の子用の浴衣を着ていた。もう一人は黒髪で、黒のズボンに血染めのシャツを身にまとって、片手に刀を握り締めていた。彼の眼はぞくりとするほど鋭かった。
「…わかった」
 私は少し渋ったけど了承した。
私の父さん、佐々山啓介(ささやまけいすけ)は、この0区では珍しい警察官だった。お人好しで、正義感の強い人だった。
その父さんが孤児を連れ込むのはいつものことだったが、彼らは雰囲気がまるで違った。まるで、戦場から抜け出してきたみたいだった。
「お世話かけます…僕、水知久苑って言います。こっちは…」
「暮葉莉玖」
 泣いてたのかな…クオンはまだ辛そうな顔をしていた。リクは横を向いてぶっきらぼうに言う姿が、生意気だって思った。
「私は春香。お風呂はこっちよ」

  私は二人をお風呂に放り込んだあと父さんを問い詰めた。
「どういうつもり!あの二人はなに?明らかに様子がおかしかったじゃない!」
「そう目くじらを立てるな!あの子たちは、逃げてきたらしい…一区から…」
 父さんは疲れた様子でソファに腰を下ろした。
「一区!それってどういうこと?」
 一区からこの0区に逃げてくるなんて、はっきり言って犯罪者か、政治犯の二択でしかない。つまり、日本の権力者を敵に回しているということ。そういう厄介事は自分たちの身にも危険が及ぶ確率が高いことも分かっていた。きっとこの時の私はものすごく嫌そうな顔をしていただろう。
「私も詳しくは聞いてない。ただ、家を襲われ家族を殺され落ち延びてきた…彼らは断ったんだが私が無理に連れて来たんだ」
「どうしていつも厄介事を持ち込むの!私は父さんに危険なことはしてほしくないの!」
 父さんは私の唯一の肉親で、一番大切な人だった。母さんが幼い 時に死んでいなかったから肉親への情が私は強かった…。
「だから言っただろ?ほおっておけって」
風呂から出てきたリクとクオンが部屋に入ってきた。私の言葉を聞いたからか、それとも元々なのか、すごく機嫌が悪そうな顔をしていた。
「風呂も借りたし、十分だ。迷惑をかけたくない」
 こっちの返答も待たないで、振り返って玄関の方へリクは向かった。その後ろでクオンが待ってと小さな声で言ったのが聞こえた。
大人に対してなんて物言い。ませガキが!そう心の中で毒づいた後で見たのは、リクが崩れ落ちる姿だった。
 クオンが慌てて抱きとめたが小柄なクオンごと床に崩れた。
「いかん!」
 父さんが慌てて駆け寄って抱き上げると、リクは蒼白な顔をして荒い呼吸をしていた。急いでソファに寝かせた。しばらくすると、そのまま気を失った。
「最初に路地裏で見つけた時もあいつは倒れとった。ひどい顔をしてほっとける状態じゃなかった」
 険しい顔をした父さんは暗い顔をしたクオンを見た。
 私もさすがにあんな状態のリクをほっとけなかったし、事情も訊きたかった。
「いったい何があったの?」
 クオンは暗い表情のまま口を開いた。
「…莉玖のあれは力の使い過ぎです。逃げてくるのに、何人も殺したから…」
 力というのがどういう意味なのかわからなかったけれど、激しい疲労と疲弊した精神状態が原因だと思った。
「…僕らも、よくわからないんです。突然襲われて…僕らは少し特殊な家系の生まれで、おそらくそのせいなんだと思います」
 クオンはそれまであったことをかいつまんで話してくれた。
 信じていた人間に裏切られ、家を襲われ焼かれたこと。リクに助けられてこの0区に来たこと。そして、家族を…唯一の兄を亡くしたことを話してくれた。リクも似たような境遇だといった。
「ミズチと言ったな」
「はい」
「お前は、この0区を統治するようにお上から命じられている、あの水知家の人間か?」
 父さんは眉間にしわを寄せていた。
 0区は無法地帯ではあるが、ある程度の整備も整っている。それは一区の息のかかった統治者と、この0区で幅を利かせているボスたちによってある程度の統治がされていたからだ。一区からの統治者の一つが水知家だった。父さんの所属する警察機構は、この水知家が総括していた。
「…はい。僕は水知宗家の当主・水知静馬の弟です」
「そんな家に手を出すとは!」
「誰が!」
 さすがに父さんも私も焦った。水知家のことをこの0区で知らない者などいなかった。それほどに強い力を持つ家だったから。
「…………………白鷺グループ」
 ただ、それだけをクオンは絞り出すように言った。
 それだけで私たちも分かった。
 愕然とした。あまりにもこの二人の子どもの敵が大きすぎて、夢のようだった。
「だから言っただろ…俺らにかかわるなって」
意識が戻ったのかリクが青い顔をして話に割って入ってきた。
「…それでも、お前たちを保護すること、それは警察官(おれ)の仕事だ。それに俺の正義がお前たちを助けるように言った!」
 正義…父さんの口癖だった。
「正義?…ははっ、あんた変わってんな」
 ちょっとばかにした言い方で私はむっとしたけど、父さんは笑っていた。

 結局、そのままリクたちはうちに居つくことになった。危険だと知っても父さんは頑固にも二人の面倒を見ていた。私も最初は敬遠していたけど、そのうちに弟のように可愛くなっていった。セイもそのころ家に住んでて、家族が増えたみたいで嬉しかった。
 ほんの一か月のことだった。それでも、穏やかな時だった。
 でも、その日は来た…
 リク達を追って白鷺の手の者が―今思えば影牙の人間だろう―家を襲ってきた。
「逃げてください!」
 クオンが叫んだ。
「馬鹿を言うな!お前たちを残していけるか!」
 父さんはそう言って戦いに入った。セイも一緒に戦っていた。
 その時はじめて、クオンの陰陽術も見た。リクの戦いも見た…
 私はその時まだ戦いってものに慣れてなくて…恐怖で居竦んでしまった。
 私に向って銃弾が放たれても、動けなかった。
「危ない!」
 父さんは私をかばうように銃弾に撃たれた。鮮血が飛び散り、父さんがぐらりと倒れた。
「とう、さん?…父さん!」
「啓介さん!」
 クオンが父さんの名を叫び、血相を変えてセイが駆け寄ってきて、弾幕の避けれるところに父さんと私を移した。
「親父さん!しっかりしろ!」
「父さん!父さん!なんで!」
 血がとめどなく流れていた。私は涙で、あまり父さんの顔がよく見えなかった。
「春…俺の…正義が、お前を助けろって…」
 せき込んで、血のしぶきが飛んだ。
「誠、俺との…約、束…守って…」
「わかってる!もうしゃべるな!」
 父さんは最後に笑った。そして、動かなくなってしまった。

朔の持っている紅茶は完全に冷え切ってしまっていた。朔はずっと閉ざしていた口を開いた。
「その後…どうなったんですか?」
「敵はリクが一掃して、クオンの術で敵の一人に二人は死んだものとして思い込ませ、白鷺に送り返した。そして、それから一度も襲われてない…」
 春香の顔はうつむき加減で、哀しい目をしていた。
「だから、ハジメのことを出汁(だし)にしてほんとは父さんを奪った白鷺に、喧嘩を売ってやりたいだけなの…私も、おそらくセイも…」
 困ったような顔で朔を見た。その表情が謝っているようだった。
 誠一はその事件のあとから何度も何度も白鷺のデータバンクにハッキングをかけて長い年月をかけ情報を集めてきた。いつの日か、啓介の敵を討つことになった時に使えるようにと…。その事実を春香だけは知っていた。
「それでも…やっぱり、春香さんは優しい」
 朔はそう言って微笑んだ。
 すると照れたように春香は笑い、付け足すように言った。
「そうかな。……そうそう、勘違いしてるみたいだけど、私たちの中で一番根が優しいのはリクよ」
 朔はガチャリと音をたててカップを乱暴に置き、目を丸くした。口元が軽く歪んでいる。表情が嘘だと断言していた。
「本当の優しさって、相手にわからないものなんだと思う」
 春香はとても優しい笑顔をして、朔に言った。
 朔は眉間にしわをよせ考えた。
優しい?まさか…。そうは思うものの完全には否定できないことが多々あった。
初めに出会ったとき、助けてくれたこと。自分も連れて行ってくれるといったこと。そして今日、自分の武器を選ばせに来させたこと…これは優しさ?
唸りながら悩む姿を見て春香は苦笑した。
 あの日、春香の父が殺されたあと、莉玖はその力を解放し、鬼の姿となってすべてをなぎ払った。返り血を浴び、うつむく顔に涙が流れたのを春香は覚えていた。
それはとてもきれいだった。
 そして、莉玖は言った。ただ、一言…
「恨んでくれていい…」
 恨む相手もいなければ、殴れる相手でもいなければ、家族を失った痛みはなかなか癒えない。そして生きていけない。春香と同じように家族を失う痛みを知る莉玖の優しさの形だった。
 でも私は、リクが仇を取ってくれたから…泣いてくれたから…それだけで、もう癒されていた……
 今振り返って春香は静かに思った。

 話し込んでいたために、それから先の準備やらなんやらはあわただしくすませた。
「さて、行きますか?」
「はい!」
 一区に行くために、朔と春香は莉玖達と合流すべく、「さざ波」へと向かった。





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