第四章 強襲
 同日の日が落ちて間もないころ。
 ドカッ!
ちんぴら風の若い男が裏路地でサングラスに黒のスーツに身を包んだ五人の男たちに取り囲まれ穏やかでない尋問を受けていた。
「ほっ、ほんとに知らねぇんだよ!確かにリクに依頼はしたことあるが、あいつの素性もどこに住んでるかもわかんねぇ。嘘じゃねぇ!あいつのことを知ってるのは情報屋の『サザナミ』か、道具屋の『春』だけだ!」
「そいつらの所在は?」
 黒服の男の一人が若い男の胸倉をつかみながら低い声で聞いた。
「はっ、春のやつは急な仕事が入って仕入れで0区飛び回ってるってきいた!だからわかんねぇ。サザナミは、エリアKの珠洲島(すずしま)通りにあるぼろい喫茶店『さざ波』にいる!」
黒服の男は、ぱっと若い男の服を放した。
若い男がほっと息をついた次の瞬間、数発の銃声が鳴り響いた。若い男は黒服たちから銃弾を浴び血まみれになってその場に転がった。
「行くぞ」
 男たちは何もなかったかのように、今手に入れた情報の場所に向かった。

 久苑たちと別れ書斎に入った莉玖は、自分のパソコンに向かった。画面にメールの受信が表示されていた。カタカタとパソコンを動かし、メールの文面を読んで莉玖は眉間にしわを寄せた。
ガタッと立ち上がりまっすぐに部屋の奥のクローゼットに立てかけてあった黒い鉄ごしらえの刀を手に取った。そして、部屋の窓を開け放し、カタリと手をかけ、そこから飛び降りた。
莉玖の家は放棄された古いマンションの3階にあった。その程度の高さなら、飛び降りたとしても莉玖にとってはどうということはない。そういう訓練を受けてきて、そう言ったことをして生きてきていた。
スタッと着地し莉玖は肩をほぐしながら思った。久苑と朔には部屋に入るなと言っていてあるから、自分がいなくなったことに気付かないだろうし、気づいたとしてもどうということはない。それに万が一があっても、久苑がいるならいらぬ心配だ。
莉玖が一人で出かけるのはただ、これから何をするのか説明するのが億劫だったし、無駄にあの二人を戦いに巻き込みたくはなかったからだった。
「さて、と」
莉玖は夜闇の中を駆け抜ける。カンカンと鉄製の階段や壁をうまく乗りついで一つのビルの屋上についた。そこからこの0区を見渡した。
夜の0区は昼と違い異様なにぎやかさをもつ。荒廃した街の持つ独特の生活。まるで夜行性の猫のような性格。きらびやかでいて排他的で凶暴な光が宿っていた。
「…きったねぇ街…」
 莉玖は街の光を見ながら目をすがめてぼそりと呟いた。この街はあまりにも不均衡な中にあって、まるで、いまの世界そのものの縮図のようで…それでもその中に生きている人の息遣いがすぐそこに感じられて…生に貪欲な人々がいる…そして、莉玖もその一人で0区に生きていた。そして、ここで、莉玖はしなければならないことがあった。
「さっさと終わらせて、本業に戻らねぇといけねぇしな」
 ビルを飛びとび、目的の場所の真上に莉玖はやってきた。そこは、昼間訪れた誠一の喫茶店「さざ波」のある向かいのビルだった。ふっと飛び降りて張り出してるパイプなどをうまく利用し地面に静かに着地した。

「待ち人…来ましたよ」
店の中で煙草に火をつけながら誠一は黒服の男たちに言った。それと同時に、店の扉が開かれ、扉の所に莉玖の姿が現れた。
「それがお客か?」
 莉玖は不敵に笑って誠一に訊いた。
「そうだ」
誠一もまたなんでもないことのように言った。だが、男たちのまとう雰囲気は明らかに血生臭いものだった。
男の一人が莉玖に話しかけた。
「お前がよろず屋・リクか?」
「そうだけど?」
斜に構えて莉玖は答えた。
「そうか」
 男たちは銃を抜き放ち莉玖と誠一に向けた。
「黒の長い髪に濃紺の着物を着た若い女を知っているな。今、どこにいるか教えてもらおう」
 莉玖は嘆息した。
 莉玖のもらったメールは誠一からで、誠一の店に莉玖の上客が来ているから、早く来いとのものだった。
誠一とはこの0区に莉玖達が来てから長い付き合いをしており、実際お互いが仕事上で厄介ごとに巻き込まれるなど頻繁に起こっていた。仕事上、莉玖をつけ狙う連中が誠一のところに情報を求めに来た時は上客として莉玖のところに知らせる手はずになっていた。
このタイミングで莉玖のところに来る連中と言えば影牙の構成員と考えておくのが定石だ。そして、案の定そうだったわけだ。しかも、朔を最初に追ってきた連中と考え方は同じだった。
これから起こることを考えると思わずため息も出る。
「お前らって本当に馬鹿ばっかりだな」
 莉玖はつい、いつものように皮肉めいて言った。
 一発の鋭い銃声が響いた。銃弾は莉玖のほほを少しかすって後ろの扉に打ち込まれた。
「質問に答えなければ次は頭に風穴を開けさせてもらう」
 少し怒気をはらんだ低い声で話しかけてきた男が銃の引き金に手をかけて言った。
今度はこの様子を見ていた誠一が嘆息した。
莉玖はめんどくさそうな顔をした。
「開けれるっていうなら開けてみろ」
 そう言った次の瞬間その場にいる人間が一人残らず行動した。
数発の銃声が一斉に音をたてた。
「ぐぅ…うぅ…」
 手元を抑え小さく黒服たちはうめいた。
 黒服の男たちは誠一の放った弾丸によって、銃をとり落とし、莉玖は自分に向けて放たれた弾丸をよけつつ、誠一に向けて放たれた弾丸を、莉玖の放った弾丸を当てることによって軌道をずらした。
「言ったはずだ。うちの店でドンパチするようなら容赦しねぇってな」
 誠一はサングラスの奥から連中を睨みつけ、銃を構えなおした。
「ば…馬鹿な!」
 男の一人が狼狽した。自分たちが発砲すると同時に一人の人間が五発もの弾丸を一気に、しかも正確に撃ち、自分たちの銃をはじいたことも、弾丸をよけつつ、放たれた複数の弾丸を撃ち落とすなんて言う芸当も初めて見るものだった。
「あんたらも分かってねぇな。ここ0区に生きるものは全て普通じゃねぇんだよ」
莉玖は片目をすがめて呆れたように連中に言った。
「莉玖、いつも言ってるだろ。お前の客は外で相手にしろってな」
誠一は外に出てドンパチでも何でもしろと言わんばかりに顎で外を指した。
「わかってるよ」
 おもむろに莉玖は店から出ていった。
「っつ…待て!」
 黒服たちは莉玖を追って店から出ていく。
 コトリとカウンターに誠一が銃をおいたとき、出ていこうとした黒服の男二人が振り向きざまに手首に隠し持っていたポケットピストルを向けた。瞬間、二発の銃声ともに黒服たちはぐらりと倒れた。
 懐からもうひとつのリボルバータイプの拳銃を取り出し誠一は二人の黒服を撃ち抜いた。
「莉玖が言っただろうが…この0区に普通なんていない。いるのは、血の上を歩く覚悟を持つ貪欲な人間だけだ」
 誠一はくわえていた煙草をとり、一息大きく吐き出すと、煙草の火を消して店の掃除をし始めた。

 莉玖は周囲の様子や気配を注意深く探りながら駆け足で人(ひと)気(け)のないスラムの方へと黒服たちを誘導していった。
「この辺でいいか…」
 莉玖は古びてあちこち壊れた鉄筋コンクリートの建物の合間にある少し広めの空間に着いたとき足を止めて、追ってきた三人の黒服を見て笑った。
「さて、落ち着いて話でもするか?」
 追ってきた男たちは莉玖を睨みつけてネクタイを緩めた。
「女の居場所を教えてもらおうか」
 莉玖は不敵に笑ったまま
「教えると思うか?」
「あまり、我々をなめないことだな」
 リーダー格の男が軽く右手を上げると、周囲の建物の物陰からぞろぞろと何人もの黒服の男たちが出てきた。だいたい十五から二十ってとこか…。莉玖は誠一の店にいた時から周囲に多くの気配を感じていたのである程度の予想は付いていた。そして、この人数を相手にしても迷惑のかからないところまでわざわざやってきたのだ。
「貴様が話したくなるようにするまでだ」
 黒服がにたりと笑って銃を取り出した。それを合図に周囲を取り囲んでいた連中も銃を一斉に抜き放った。
「貴様が同胞たちを殺(や)ったという情報はすでに得ていたからな。こちらも今回は手を抜かない」
 笑みを消して、黒服たちが一斉に引き金を引いた。もちろん急所は狙っていないが下手なところにあたれば確実に死ぬ。
 莉玖は高く跳躍し、自分を狙ってくる弾丸をよけ、リーダー格の男の方へと跳んだ。その合間に、自分の銃を引き抜いて、自分の背後に向けて六発の弾丸を連射。三人の男たちの銃をはじき、利き腕を射抜いた。リーダー格の男の前に着地すると同時に、男が発砲してきた。放たれた弾丸をよけざまに二発の弾丸を放ち、両肩をつぶした。
そして、リーダー格の男のわきを固めていた男二人を体術で軽くいなして昏倒させた。
「……!」
 リーダーがやられ、黒服の男連中がどよめいた。
「殺(や)る気でこねぇと後悔すんぜ」
 莉玖は不敵に笑って、銃を持っていない左手で挑発的に来いよと手招きをした。
「なっ…なめるな!」
そこからは銃弾が飛び交う中で殴り合いの混戦となった。だが、実力差は圧倒的だった。十分もすると、そこに立っているのは莉玖ただ一人となっていた。
「さて、雑魚の始末もついたし…」
 莉玖は服についた砂埃をパタパタと払った。
「…そろそろ出てきたらどうなんだ」
   ギロリと廃屋の崩れた二階の壁の方を睨みつけた。
「君は優秀だな。我が組織に欲しい人材と言える。いつから気付いていたんです?」
 がれきの中から今ここで倒した連中と同じ黒のスーツに身を包み、きちんと髪をオールバックに整えた壮年の男が現れ、莉玖の目の前に飛び降りてきた。男の顔の右側を縦に大きな傷が走っていた。
 莉玖は少し眉をひそめた。こいつは………向こうは気づいていねぇみたいだな。だが、懐かしい顔だ…。
莉玖の中でちりちりと感じ取っているこの男から発せられる気の流れは明らかに人外のものだった。
『莉玖…』
 莉玖にしか聞こえない声で彼の中の緋鳶が呼びかけた。緋鳶も感じ取っていた。同族の香りを。
「誠一…情報屋・サザナミの店にいたときからだよ。気配を消せていても、あんたのその異質さは、全然消えてねぇぜ。影牙も腕落ちてんじゃねぇの」
莉玖は嫌味を言うとともに、敵意の眼差しを男に向けた。
「少し鍛えなおす必要がありそうですね」
 口だけ笑った男の眼は別のことを楽しみにしているようだった。戦闘狂が…その様子を見て思った莉玖はより嫌そうな顔をした。
「さて、時間もないことですし、本題に移らせてもらいます。」
 男のまとう雰囲気が変わった。鋭い刃物を突き付けられているような圧迫感が莉玖を襲った。
「あなたが連れ去った少女・天宮朔を我々に返していただきたい。彼女をかくまっても何のメリットもないでしょう?」
 男は威嚇しながらも不用意に銃を引き抜いたりはしなかった。『脅し』を必要とせず、無駄なすきを与えず、何か起こったとしても対応できる状態を保っていた。
「…メリットねぇ。くっくく……あるぜ。それにあんたは心当たりがあると思うけどな…影牙筆頭・穂積犀璃(ほずみ さいり)サン?」
面白そうに莉玖がそう言うと、男の柳眉がぴくりと動いた。
「さて、どういうことです?なぜ私の名前を?」
 くすくすと笑いながら莉玖は続けた。
「なぜ名前を知っているか…あんたが名乗ったんだよ。あんたの癖なんだろ。殺す相手に自分の名前を教えること。」
「そのとおり。私の名前を知っているのは、私が殺してあげた人のみ…つまり、誰も私の名を知るはずがないのですが?」
 険のある眼で莉玖をもう一度上から下まで眺めた。
「覚えてねぇか…この姿だしなぁ…」
 そう言ってうつむいて左手で左眼を覆い、含みを持たせて呟いた。
 くいっと顔をあげて左手をすっと放した。莉玖の左眼は紅く燃え上がるようにその色を変えていた。
 穂積は驚愕して、大きく目を見開いた。
莉玖は、にぃっと嗤(わら)って言った。
「…右手の調子はどうですか?」
 穂積は抑えていた殺気を一気に開放し猛々しく襲いかかってきた。莉玖は後ろに飛んで穂積の右こぶしをよけた。穂積のこぶしは地面のコンクリートを大きな音を立てて砕いた。
 穂積は右手にしていた白手袋を外した。中から現れた右手は義手…機械の腕だった。穂積がこぶしを握ると機械音と鉄の擦れる音がした。
「すこぶる調子がいいですよ!あなたが切り落としてくれた我が右腕は骨と化しましたが、この腕は以前のよりもいい…人を殺すのにはもってこいなのですから!」
 興奮して高々と言う穂積の眼には莉玖への殺意しかなかった。
「肉をひきさき、潰し、切り刻んで、どれほど素晴らしい悲鳴の数々を聞いたか、じっくり教えて差し上げたいものです」
 ざわざわと殺気を放つ穂積の姿が少しずつ人ではなくなっていた。その姿は、そう…鬼…
「十年前のあの日にやはり殺しておくべきだった。どうやら、完全に堕ちたようだな」
 莉玖は嫌悪の顔をして毒づき、腰に帯びていた黒の鉄ごしらえの刀の柄(つか)に手をかけた。そして抜き放ち、穂積を真正面から切りつけた。それを穂積は右手で受け止めた。
「言ったでしょう…以前の腕よりも調子がいいと」
嗤いながら、腕を払うようにして莉玖を払いのけ、穂積は自分の体勢を立て直した。莉玖も自分から身を後ろにひいて体勢を立て直した。
そして、お互い睨みあってじりじりと間合いを詰めていく。
先に動いたのは穂積の方だった。刃の仕込んである爪の部分をとがらせて右手の手刀で切り付けてきた。莉玖は攻撃を紙一重でよけながら、瞬間的に穂積の視界から消えた。次の瞬間、下にもぐりこんだ位置からあごに向かって蹴り上げた。
穂積は上体をそらしてすんでのところでよけた。だが、体勢が崩れた。そこを莉玖が一気に詰め、顔面を殴りにいった。その時、穂積がにやりと笑った。穂積の機械の右腕から組み込まれた刃が現れ、莉玖の脇腹を切り裂いた。
莉玖はとっさに身を引いたが、それでもよけきれなかった。
「痛(つう)っ…!」
 そのまま莉玖は脇腹を押えて後ろに跳んだ。それほど傷は深くなかった。
「いつからでしょう…この姿になってからというもの、とても体が軽いのですよ。そして…人の血が欲しくてたまらないんです」
 穂積は刃についた莉玖の血を舐め、口端を釣り上げた。
 人が鬼へと堕ちると、その身体能力が数倍に跳ね上がる。それは、鬼が持つ鬼力と呼ばれる生命力にも似た特殊な活力が体を流れるためである。霊力や神力・通力といったものとよく似た性質をもっているが、鬼力はその力の本質が陰の気の為、常人にとっては欲求を満たす暴力へと変わることが多い。そして、人の闇に巣くいその心をも支配してしまう。
破壊と殺戮を好む化け物へと人は変わっていくのだ。
「…そうやって、人を殺して鬼に堕ちたか…悪いが、俺はやられるつもりは毛頭ない。お前は俺が狩る!それが、渡吏(わたり)たる俺の使命だ」
 莉玖はぐっと体を持ち上げギッと睨みつけた。
 人の持つ陰の気が、その人の許容量を超すと人は鬼へと変貌していく。もしくは、鬼との違法な契約によって鬼力を行使する人間がいる。そう言った人間を狩るのが莉玖の一族『暮葉』が、はるか昔からになってきた仕事『渡吏』だった。
冥界は陰の気に染まり人界における陰陽のバランス崩す鬼化した人や、違法契約の鬼を狩らせ陰陽のバランスをために暮葉の一族に『渡吏(わたり)』という仕事を与えた。
「どうやら、本気でやるしかないようだ…」
瞳を閉じた。そして次に開いたとき莉玖の目の色ががらりと変わった。まとう、空気も…
 莉玖は刀を横一文字に構えなおし、ひどく落ち着いた声音で言霊を唱えた。

千々(ちぢ)なる骸(むくろ)を足元に 狂気の渦を飲み下し
  紅く吾(あ)が手を染め抜けば 緋桜(ひおう)のもとで 舞い契(ちぎ)らん

地面から気流が突如として起こり一気に周囲の空気が変わっていく。深く暗い闇の香りが辺りに充満した。
穂積は十年前に一度だけ生死の境をさまよった。その時もこの香りが立ち込め、胃のあたりが冷たくなる感覚を味わっている。あの時は、まだ人だった。今は完全に鬼へと堕ちている。だからこの香りが同胞の放つ心地よいものだという感覚に変わっていた。
気流の中から現れた莉玖の姿は銀髪になり、頭の左側、耳の少し上のあたりに細く鋭い牙のような角が生えていた。
「…この姿になるのも久しぶりだな…緋鳶、腕はなまってないだろうな」
「ふん、誰に物を言っている…さて、仕事をしようではないか」
 莉玖の口から交互に違う声が漏れた。
莉玖のさっきの言霊によって冥界につながれている緋鳶の力を解放し、莉玖の体を依り代としてこちら側に呼び出したのだ。今の莉玖はほぼ緋鳶という鬼だった。もっとも、半鬼半人に近い形でだが。
「美しい…そう、その姿のあなたが私の腕を奪ったのでしたね」
 恍惚の表情を穂積は浮かべた。
 莉玖が刀を構えなおした。
地面を蹴ろうとしたその時、莉玖の周囲の空気が凍りついた。まるで透明のガラスの壁でさえぎられるように四方を霊力による壁に囲まれた。さらに霊力によって莉玖の体の自由を奪った。
「…結界に金縛り…か」
落ち着いて緋鳶が言った。
「穂積、勝手な行動は慎んでもらおう」
 落ち着いた男の声が聞こえた。
「邪魔をしないでいただきたいものですな…水知殿」
 いいところで水を差されて不機嫌な顔になった穂積が男を睨みつけた。路地の影から出てきた男は三十代前半ぐらいの釣り目でメガネをかていた。他にも四人の男が莉玖に結界を施していた。
「ここは我々の管理下だ。それに、異形の者を退治るのは陰陽師の仕事ですから、影牙は引っ込んでてくれないか」
 男の言い方は明らかに高慢で馬鹿にしたようなものだった。
「くっくくくく……そう…陰陽師、ですか。あなたが?」
 穂積は笑いながらそう言った。ちらりと奥の物陰を見た。
 むっとした顔で男は穂積を見た。
「いいですよ。私も、暮葉の人間が生きていることを総帥にお知らせしなければならないと思っていましたし…女の方はおそらく向こうからこちらに来てくれるでしょうから」
 ざわざわと放っていた殺気を抑え込み、人の姿に立ち戻る前に穂積は後方に高く跳びあがった。そして、三階建ての廃墟の屋上に降り立った。
「遠からずもう一度お会いすることとなるでしょうね。勝負はその時まで預けておきます…暮葉莉玖クン」
 そのまま穂積は姿を消した。
「さて、君を始末するとしようか」
 拘束されている莉玖を見下して男は言った。
「お前らみたいなエセ陰陽師には俺は倒せねぇよ。そうだな、俺を倒せるとしたら、百年に一人の逸材と謳われた水知静馬(みずち しずま)の弟だけだ…なぁ、そうだろ?」
 そう言うと、奥の物陰から突如、久苑が現れた。
 久苑の姿を見て男はうろたえ後ずさりを始めた。
「いつから気付いてたの?」
久苑は困ったように笑っていた。
「こいつらが出てきた時だよ。お前、殺気が隠れてなかったからな。穂積のやつも気付いていたぞ」
「だめだな。どうも、この人たちを前にすると自制がきかなくなる…お久しぶりですねぇ、隆正(たかまさ)従兄(にい)さん」
 久苑の声音はとても穏やかに聞こえて、でもとても暗く深いものだった。ひしひしと感じるのは憎悪の感情。
「く…久苑…!」
 驚きと焦りと恐怖と、いろいろごちゃ混ぜにした何とも言えない感情を浮かべて、水知隆正はなんとかその名前だけを絞り出した。
冷汗が、彼の背中を駆け下りている。
「従弟(いとこ)の顔、覚えていてくれたんですね。まぁ、忘れられるはずがありませんね。僕はあなた方分家が裏切って滅ぼした宗家の人間なんですから」
 うすら寒い笑いを浮かべて、一歩また一歩と久苑は隆正に詰めよった。
「ち…違うんだ…あれは、親父が…」
「…何か言いましたか?」
隆正は蛇に睨まれた蛙だった。それこそさっきまで穂積に偉そうに言っていたのに今は目の前にいる白髪の青年が恐ろしくてたまらなかった。
 その様子を見て莉玖は目を伏せた。わかってるよ、静馬兄(にい)…約束は守るさ…。さて、そろそろこのうざったい金縛りも、結界も壊すか。思いを巡らせて、鬼力を高める。

 吾(あ)が仇(あだ)なるものを 殲滅(せんめつ)せん
   其(そ)よ 紅(くれない)をともし 真(まこと)が姿を顕現(けんげん)せよ

  厳かな声で莉玖が言霊を述べると、莉玖の持つ刀・忠光(ただみつ)が炎を放った。その炎は龍のごとく莉玖の体にまとわり、莉玖の周りの金縛りの術も結界もことごとく焼き払ってしまった。その様子を見た莉玖を捕える結界を張った隆正の部下たちは驚愕の表情をした。
 炎を纏った刀を携えて莉玖は肩をほぐしながら久苑の隣に立った。
「あんなのに捕まるとは、腕鈍ったんじゃない?」
久苑は横目で莉玖を見た。
「久方ぶりだ…少し遊んでもよかろう」
 莉玖の口から洩れたのは緋鳶の声だった。
「こうして話すのはずいぶん久しぶりだね」
「ふん」
「相変わらず愛想がないなぁ」
 軽口をたたいていても久苑の瞳は射るように隆正を見ていた。
「結界ってのはこうやって張るんだ…」
 久苑は胸の前に構えた刀印を横になぎ払った。すると四人の男を囲む結界が四つ現れた。
「そして、金縛りはこうするもんだ…縛!」
呪符を一枚懐から出し、構えて唱えた。隆正は体を硬直させて動けなくなった。
「朔に会って、白鷺が絡んでるってわかったとき、必ずあなた方が出てくると思った。下っ端なんかじゃなく分家の面々がね。僕はあなたたちを…」
 久苑が刀印を切ろうとしたその時、莉玖が腕を掴んで止めた。
「やめとけ」
 それはあまりにも穏やかに言われた。
「止めるな!莉玖」
 感情をあらわに久苑が叫んだ。
「こいつらが…こいつらが白鷺と手を組んだから…だから、兄さんは人柱になったんだ!僕は…」
「こいつらを殺す…か?」
 莉玖にそう続けられ、ドクンと、久苑の鼓動が大きく跳ねた。何も言えなかった。久苑をあの言葉が縛る…
    恨むな…久苑
「お前は殺せねぇよ…だって、お前は水知の陰陽師だろ」
「…………あぁ」
 久苑の腕から力が抜けた。それを感じて、莉玖は腕から手放した。
「万のことに目ふさぎ 万のことに耳ふさぎ 万のことに口とざせ まどろみの中に置き忘れよ…」
 くぐもった声で、久苑は合掌して呪を唱えた。言い終わると、隆正もほかの四人の男も眠りに落ちた。
 久苑はその場に座り込んだ。
「この十年、ずっと憎んできた。今も消えない…この感情。なのに、殺せない…兄さんの言霊に縛られているのか…?」
うなだれて、久苑は悔しさで身を震わせていた。
 莉玖は刀を納めて、そっとまぶたを閉じた。また気流が起こり莉玖を包んだ。莉玖が目をあけると、いつもの姿に戻っていた。
「俺は暮葉の人間だから…鬼を斬るし、人もたくさん殺してきた。俺は覚悟を持っている。殺す覚悟だ。そして、殺される覚悟もな…。お前は違う」
 莉玖は天を仰いだ。星が瞬いている。
「子どもの頃からお前も静馬兄も言ってただろ。水知の陰陽師は常に殺さない覚悟をしているって…」
 少し羨ましそうな顔をして莉玖は続けた。だた、うつむいている久苑にはその顔は見えない。
「陰陽道は、人を救い・導き・助けるためのもの…それを操る陰陽師もまたしかり、なんだろ?」
 黙って聞いていた久苑の目から一筋の涙が流れた。

莉玖達が家に着いたのは午前四時過ぎだった。朔はよく寝ていた。朔が寝たのを確認して久苑は出てきたと言った。
「莉玖…あの穂積って人は?」
 莉玖の書斎に寝転んで久苑は同じく横に寝転んでいる莉玖に訊いた。
「十年前のあの日、家を襲ってきた連中は影牙の精鋭と白鷺の私軍…それに仙堂。穂積はその頃から影牙の筆頭だった」
「それじゃあ…」
久苑が眉をひそめた。
莉玖は久苑に背を向ける形で寝ていた。眼を伏せて、莉玖はくだらないことだと吐き捨てるように言った。
「その時、俺はあいつの右腕を肩から切り落とした。敵はいくら斬っても出てくるような状況で、とどめなんてさしてる余裕もなかった。そしたら、十年たってあいつは鬼に堕ちてやがった…」
苦々しく莉玖は言った。
「俺はあいつを狩る。それが渡吏たる俺の使命だからだ」
それ以上二人とも何も言わなかった。

◆       ◆       ◆

「どうしたんですか、その傷?」
 白鷺本社の廊下を歩く穂積を青年が呼び止めた。穂積は莉玖に傷を負わせたとき実は反撃を受けていた。左わきから袈裟に斬られていた。別に隆正が来たから戦いを止めたわけではなかった。あのままでは確実に穂積は狩られていた。
「任務中にあなたが負傷するとは珍しい」
そう言う青年に穂積はにたりと笑った。
「懐かしい顔に会ったんですよ。君の幼馴染にね…蒼真クン」
「……」
「計画に暮葉がいると困ります。私は総帥に報告してきますので、また」
 穂積はそのまま暗い廊下に消えた。
 蒼真と呼ばれた青年は廊下の窓から見える一区のビルの光を眺めた。どこか寂しげで、困ったような顔をしてぽつりと漏らした。

「…莉玖…お前は俺を殺しに来るのか?」

◆       ◆        ◆

もう、戦いは始まった。誰にも止めることはできない…





←Back Next→

Worksへモドル