第二章 『クレハ』と『ミズチ』
 朔(はじめ)に自分のベッドを取られているので、ここ2日ほど莉玖(りく)は床で寝ていた。人が泊まりに来ることもないので(人付き合いが嫌いで)客用の布団などあるはずもなく、さらに言えば一緒に寝るわけにもいかなかったので体が痛くなる雑魚寝しか選択肢がなかった。
 おかげで今日も(というかほぼ毎日)莉玖は不機嫌だ。
 ただ今日は、もう一人不機嫌な人間が…。
 向かい合って莉玖の用意した朝食を食べているものの莉玖と朔は一言も言葉を発しなかった。
 朔が抱いている感情は明らかな嫌悪だった。しかもよく顔に出る。朔の本質は直情型なんだなと莉玖は今朝一番に理解した。
「もう猫はかぶらないのか?」
 挑発するように無表情で莉玖が切り出した。
「うるさい」
 莉玖を見もせず険しい顔をした朔が一言発した。
「そんな顔していたら、眉間のしわが消えなくなるぞ」
 今度は不敵に笑って言った。
「うるさいって言ったはずだ!」
 大きく机をたたき立ち上がって睨んできた。
朔は疑問と不安と自分の無力さが嫌になりそうだった。なぜこの男は自分のことを知っているのか、本当にこんな嫌味な男を信用してもいいのかということ、そしてこの男に頼らなくては0区にいれない自分…すべてが腹立たしくて、悔しくて、怒鳴ることでしか抵抗できなかった。
ふいっと泣きそうになった顔を背けて、食べた食器を流しへと運んだ。
そんな朔の姿を見てにやつきながら、莉玖は煙草の火をつけた。
「お前が俺に聞きたいことがあるのは知っている。だが、俺もお前からすべてを聞いていない以上お前を信用していない。昨日も言ったはずだ。今日わかる、ってな」
 莉玖は深く煙を吸い込んだあと大きく吐き出した。まだ長い煙草をすぐに消して、立ちあがった。食器を片付けると、かけてあった黒いコートを羽織ってドアへむかった。
「御希望通り『クレハ』と『ミズチ』に会わしてやるよ」
「なっ…!」
 莉玖は朔の返事を待たずに勝手に外に出てしまった。
 慌てて後を追って朔も莉玖の家を出た。

莉玖の家は古い廃棄されたマンションの一室だった。ドアの外に出ると、眩しい日の光が差してきた。雨はこの2日の間にやみ、今は快晴であった。
街は静かだった。朔がここに来た日は夜で、ネオンの光と人の雑踏がひどくうるさかった。
「ずいぶん静かね」
 階段を降りながらぽつりと朔がもらした。
「あぁ、ここはな」
 階段を降り切った場所にバイクが1台停めてあった。莉玖は朔に1つしかないヘルメットを投げ渡すと、後ろに乗るように促した。
「私はそんなものに乗ったことはないのだけど」
「ちっ。お嬢が…。後ろでしがみついとけ。振り落とされたらそれまでだったってことだ」
 有無を言わさずエンジンをかけ出かけようとする莉玖の後ろに朔は飛び乗った。

「おい、さっさと手を放せ。降りられねぇだろうが」
 目的地に着いたとき朔はそこに行くまでの道のりも何も覚えていなかった。莉玖の運転は決して安全と言えるようなものではなく、目をつぶり必死にしがみつくだけでも至難の技であった。
 今まで、俗に言う金持ちの乗る車で丁重に運ばれたことしかなかった朔にとって暴走するバイクの後ろに乗ることは恐怖だった。
 しびれる手を放し、震える膝をおして地に足をつけた。
 目的地は、莉玖の家の周囲とは違い、雑多な街中の横道にある小さな店だった。まだ準備中の札のかかった喫茶店だ。
 莉玖はその扉を開いて中へはいって行った。扉についた鈴がカランと音をたてた。
「準備中の字が読めねぇのか…って、お前か。女連れとは珍しいな」
 カウンターの向こうにコップを拭きながらこっちを見る男がいた。
「誠一(せいいち)、久苑(くおん)は居るか」
「来ると思っていたよ、莉玖。それに天宮朔さん」
 今度は、店の奥から柔らかな笑みを湛えた少年と思しき人が出てきた。朔は驚いた顔で彼を見た。彼は初めて会うはずの朔の名を知っていた。
「やはり、見えていたのか久苑」
「いつも言っているだろ。こういうのを天命って言うんだって。ま、そこから何を選ぶかは、人次第だけどね」
莉玖はカウンターに腰を下ろし、頬杖をついた。少年のほうは相変わらず微笑みを絶やさずにいる。
「あなたは一体…?」
怪訝そうな顔で朔が尋ねると穏やかな表情のまま彼は言った。
「はじめまして、僕は水知久苑(みずち くおん)。陰陽師(おんみょうじ)です」
「水知…!」
「僕は陰陽術の中でも予言や予知といったたぐいのことが得意でね、今日君たちが来ることは、昨日のうちに分かっていたんだ」
 久苑は小柄で一見すると女の子に見える容貌で、朔と同年代くらいだ。朗らかに笑い落ち着いた雰囲気を彼は纏っていた。ただ、そんな姿に似合わず、髪だけが白髪だった。
「おい、依頼完了だ。さっさと話せ」
 ぶっきらぼうに莉玖は朔にそう言ってきた。
 朔は朔で、ギロっと睨んで、しかめっ面を莉玖に向ける。
「依頼は『クレハ』と『ミズチ』を探すことでは?ここにいるのは『ミズチ』だけよ」
「そうだよ。今、目の前に2人とも居る」
 意地の悪い笑みを浮かべて言う。
 えっ?という顔で先ほど誠一と呼ばれていたカウンターの中のマスターを見る。金髪で背の高い男だ。サングラスの中の瞳が困ったように笑ったのが見えた。
「莉玖、いじわるも大概にしろよ。お嬢さん、俺はクレハじゃないよ。名前は放形誠一(はながた せいいち)。ここでマスターする傍ら情報屋を営んでいる」
 朔の顔から血の気が引いた。まさか…。ゆっくりと莉玖のほうに顔を向けふるえながら指をさした。
「莉玖…名前言わなかったのか?」
 呆れたように久苑が訊いた。
「職業柄、本名をそのまま名乗るのは危険が多いんでね。いろいろとヒントはあったんだがな。全く気がつかなかったのは、そいつ自身が悪い」
 今度はそのふてぶてしさに、朔はわなわなと怒りがこみ上げてきた。
「朔さん、こいつの本名は暮葉莉玖(くれは りく)。君の探し人は僕とこいつなんだ」
「なっ、なっ、なん…!!」
 言葉にならない怒りがこみ上げてきた。
 莉玖は笑うばかりで、久苑も誠一も呆れていた。


「さて、本題に入ろうか」
誠一の入れてくれた3人分のコーヒーをようやく落ち着いて飲みながら莉玖が切り出した。
「あっ…」
 朔は誠一のほうを見て少し困った顔をした。
「俺はいないほうがいいのかな。情報屋だしな。…仕事として俺が必要になったら、呼べよ」
 莉玖に目配せして、誠一は店の奥に消えた。
「朔さん、なぜ今君がこんなところにいるのか、なぜ僕らを探していたのか、教えてもらえますね?」
 朔はちらりと莉玖のほうを見た。
…気に食わない。そうつい思ってしまう相手が自分の探し人だったこと。しかもそれを自分から言わずにあたふたする自分を見て楽しんでいたこと。腹が立って仕方がなかった。
しかし、今はわがままを言っている場合ではなかった。
 久苑に対し一つうなずき話すことにした。
「察するに、あなたたちは我が天宮家がどういう家かご存じのようですね」
「まぁね。僕らも似たような生まれだから」
「神官四家(しんかんよんけ)…天宮(あまみや)・鈴代(すずしろ)・風見(かざみ)・仙堂(せんどう)。表向きには代々続く貴族。現代(いま)じゃ、どの家も政治・企業家として名の知れた家系」
 莉玖はコーヒーの入ったカップを揺らす。
「だが、本来は、天皇家とは別に神々と通じる神官家。この世を保つ目に見えない流れ…『陰陽の気(いんようのき)』の陽(よう)の気(き)を保つために動いている連中。どこも直系には超常の力がある。天宮は鈴代と対をなす東の巫女の家系…その能力は『治癒』…だろ」
相変わらず不遜な態度のままの莉玖が説明した。
「…そのとおり、よくご存知で」
 鋭い眼差しを莉玖に向けた。
「久苑が言ったはずだ。俺らも似た家系なんだよ」
「そう、あなたたち神官家が表なら僕らの家は裏…。僕らの家、いえ、莉玖の家系『暮葉』はあなた方が神と通じているように、冥府と通じていた冥官家だった」
「お前らが《陽の気を司りし者》なら俺は《陰(いん)の気(き)を司りし者》だ」
「僕の家『水知』はこの陰陽のバランスを整える役目を負った陰陽師の一族。僕は《調律者》なんだよ」
「そんな一族が存在していたとは…」
 朔は初めて知る事実に少し困惑していた。今までそんな話は聞いたことがなく、そういった一族との接触も、もちろんなかった。
 朔の困惑した顔を見て久苑が苦笑して言った。
「…朔さんは、今何歳ですか?」
「十六になります。それがどうかしましたか?」
 莉玖は険しい顔を作り、久苑は静かに目を伏せた。
「天宮家では七つの年まで子どもは神の眷族として神聖視され、外界との接触ができないことになっている」
「……十年前に僕らの宗家は滅んでいますから。あなたとの接触はなかったんです」
「――っ!」
朔は自分が知らなかったとはいえ、そういったことを言わせてしまった思慮のなさに恥ずかしさがこみ上げてきた。
「ごめんなさい…」
 しばしの沈黙が三人を包んだ。

「話を元に戻そう」
 莉玖が沈黙を破った。
「…はい」
 うつむいたままの朔は一呼吸してからまた語りだした。
「…ここ近年陰陽のバランスが崩れ始めていて、陽の気が強まってきている。我々神官四家はそれぞれに散っているけれど、この事態を切り抜けるため、連絡を取り合っていた。でも、3年前に出雲にいる風見と、そして1年前に伊勢にいる鈴代と連絡が取れなくなり…我が一族のもとに、3か月前白鷺グループの者がやってきた。一族を守りたいなら、巫女を渡せと…」
ぎりっと、朔が奥歯をかみしめ、握る手の力が強くなる。
 莉玖も久苑も何も言わなかった。ただ、2人にはこの事態が何を意味しているのかだいたい読めてきていた。
 ついに、神官家にも手を出してきたか…。無言のまま2人ともそう思っていた。
「姉を…渡せと言ってきた。もちろん断った。でも、一族の護り女(まもりめ)…武術を学んだものだけでは戦いきれなかった。そして3日前、屋敷を強襲され、私は姉が事前に作ってあった退路でここまで逃げてきた……」
 逃げることしかできなかった自分のふがいなさに朔は思わず泣きそうになった。
本当に逃げなければならなかったのは、姉のはずだった。だが姉は、自分の身を投げ出し朔を逃がしてくれたのだった。
「姉はあなた方を頼れと…きっと0区にいるからとそう言って私をここに…。お願いです!姉を、一族を助けてください!」
 悲痛な声だった。涙を見せまいと顔を強張らせ、うつむいて手を強くに握り締めていた。
 朔の姿を見ている久苑と莉玖の脳裏に十年前の情景が蘇ってきた。
帰る家をなくし、愛する者たちの死の記憶が…そしてどれほど叫ぼうと助けの手など現れはしなかったその事実が、二人の顔を歪ませた。
「なぜ、白鷺の連中は巫女を引き渡せと言ってきたのかわかってねぇのか?」
「それは…わからない。ただ、ここ最近、巫女の能力を科学分析するからと、一族の女が何人も研究室(ラボ)に…」
「ま、神官四家なんて貴族の身分だけで企業に食わせてもらっている身だったんだから、そのくらいのことはしていただろうな」
「莉玖!お前はまたそういうことを言って」
 莉玖の失言に対して久苑がたしなめた。
 はいはいっと言ったそぶりで、莉玖はあらぬほうを見た。
「…はぁ。ところで、もう一つ聞いておきたいんだけどいいかな」
 気を取り直して久苑が質問した。
「何ですか」
「四家のうちの仙堂の家はどうなっているの?仙堂家の宗家は天宮を、分家の二派は鈴代と風見の守護が任のはずでは?」
 仙堂の名を聞いて莉玖の目の奥があやしい光をともした。
 朔は答えあぐねていた。どうにも何か迷いがあるようだった。
「…分家の状況はわからない。ただ…宗家は我が一族を裏切った」
絞り出すような声だった。信じがたいというように…
「そっか…」
 久苑の目に宿ったのは悲しい光だった。
お前は何がしたいんだ。懐かしい友の顔がよぎった。あの時も、今も僕らには何も話してはくれないんだな。
心の中でつぶやいた言葉が、彼に届きはしないとわかっていながらも久苑は思わずそう面影に語りかけた。
「どうするつもりだ、久苑」
 頬杖をついて莉玖はコーヒーカップを置いた。
「莉玖、答えは決まっているだろ」
 莉玖に向き直って久苑は少し真剣な目をした。
「まぁ、旺(あきら)の見立てだ。間違いはないだろう」
「そうだね。僕らを頼ってきたということは、そう言うことなんだろう」
 二人で勝手に納得している様を見て朔には何が何だかわからなかった。
「…いいぜ、助けてやる」
「莉玖、そうじゃないだろ。朔さん、僕らも手伝わせてもらうよ」
 朔の顔が明るくなった。
「ありがとう」
「やっぱり旺に似ていますね」
久苑は微笑んだ。
「あの、姉を知っているんですか」
 先ほどから、姉の名である『旺(あきら)』を二人が知っていたことを不思議に思っていた。
「あぁ、旺とは面通しもすませてあったし、僕らの一つ下だったからよく遊んでいたんだよ」
「えっ!それって…」
 あからさまに驚き久苑を見る朔を見て莉玖が噴き出した。
「くっ、くく…。お前、久苑のこと幾つだと思っていたんだ」
「…同い年くらいだと……」
 実際、久苑はそのくらいの少年にしか見えに風貌で、身長もそれほど高くない。おそらく160p程度だろう。朗らかに笑えば女に見間違えそうなほどの美人と言ってもよかった。
「十六か、確かにそのくらいで成長止まったんじゃねぇの」
 にやにや笑いながら言う莉玖の顔を見て、久苑は満面の笑みを見せて言った。
「…呪い殺すぞ……」
朔に悪寒が走った。
笑顔の裏に夜叉がいた。
 莉玖は慣れているのか、そのまま視線を外してなにごともなかったかのように言った。
「こいつはおれと同い年で、お前の姉・旺の一つ上。二十三だ」
「そう…だったん、ですか…。ごめんなさい。失礼なことを言ってしまって」
 縮こまった朔を見て久苑は苦笑した。
「気にしないで。よくあることだから。それに、気を使う必要もないから。普通に久苑って呼び捨てでいいし」
そのことを聞いた莉玖は不遜に笑い、
「俺のことは莉玖さんかそれ以上の敬称で…」
「あっ、こいつも呼び捨てでいいから」
「かってにきめるな」
「別に支障ないだろう」
「いやあるね」
 まだぎゃあぎゃあと二人は言い争っている。その姿を見ていて朔は思わず笑ってしまった。あのクールぶっていた莉玖がこんなにもくだらないことで言い争うとは考えていなかった。
「私のことも朔でいいから。よろしく、莉玖、久苑」
 初めて朗らかな笑みを浮かべてそういった。花のようだとはまさにこのことだった。
 その顔を見た瞬間、二人は固まった。
そして、久苑は苦笑し、莉玖は眉間にしわをよせ、ふいっと顔をそむけた。





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