エピローグ
 0区にまたいつもの朝が来た。もう冬の訪れを感じられるほどの寒さがやってきていた。
 朔はベッドの中でもぞもぞと動いていた。起きなくてはならないが、蒲団が暖かくて出がたい。
 が、そこに、あの嫌味な声が聞こえる。
「このお嬢が!さっさと起きて仕事しやがれ!」
 莉玖は不機嫌そうな顔で乱暴に扉を開け放って怒鳴る。
 むっと、嫌そうな顔をして朔は体を起こした。
「女の子の部屋をノックもせずに開けるのはいただけないなぁ」
 少し論点のずれた久苑の声が横やりを入れる。
「うるせぇ。もともとここは俺の家だ!」
 そう、ここは0区の莉玖の家。
 なぜそこに、朔と久苑がいるかというと、数週間前にまで遡る。

「もう、行くの?」
 旺が寂しげに目を細めた。
 天宮の離れに匿われて傷の手当てを受けていた莉玖達は、莉玖の意識が戻って二日後には0区に帰ると言い出した。
「あんましあそこを空けていらんねぇからな」
 莉玖は苦笑しながら言った。
 昔と変わらない離れの縁側に腰をおろして二人は話していた。
 変わったのは二人の方だった。
 どちらも幼かった子どもではなくなっていた。
 旺は長く黒い髪の毛を肩からはらりと落とした。白い着物によく映える。昔は、赤などの鮮やかな着物を着ていたのに、今は落ち着いた色合いのものしか着ないらしい。
「十年でずいぶん美人になったもんだ」
 莉玖の言葉に旺は目を白黒させて、微笑した。
「驚いた。そんなことも言えるようになったんだ」
「でも、変らないな」
 莉玖は懐かしむような眼をした。
 あの日、初めて旺を見たときにすぐにわかった。十年たって様変わりしたはずなのに、それが誰なのかすぐにわかった。
旺は楽しげに微笑んだ。
「でも、旺はよく僕たちの事がわかったね」
 お茶を入れて、久苑と朔が持ってくる。そのまま二人は縁側に腰をおろす。
「貴方達こそ変わらない」
 旺の言葉に照れくさそうに久苑が笑った。
「ところでね、二人にお願いがあるの」
 旺が話題を変えて、少し真剣な目をした。
「朔のこと」
 朔ははっとしたように、湯呑から視線を上げて旺を見た。
「渾のことだね」
 久苑が困ったように笑った。
「えぇ、私たちは渾を抑え込む力を持っていない。だから、陰陽師である久苑のそばに置いてやってほしいし、いざという時は、莉玖に止めて欲しいの」
「まった。俺らは0区で一応仕事して暮らしてる。無償でとはいかねぇぞ。人一人賄えるほど裕福じゃねぇ」
 莉玖が厳しい表情で答えた。
「…そう言っても、知っていると思うけど天宮も財政状況的に厳しいし……そうだ!」
 この後の旺の行動に朔は愕然とした。
 旺は莉玖の顔を不意に寄せると、唇を重ねた。
 とっさの出来事に、莉玖がたじろぎ、久苑は唖然と口を開いた。そして、部屋に入ってきたところにこれをタイミングよく目撃した蒼真は、持っていたお茶菓子をとり落とし硬直した。
「ああぁぁあき、きき、き…ききき……」
何が言いたいのかまったくわからない言葉を発して、顔面蒼白になっている。
旺は満面の笑みを浮かべて莉玖を見た。
「はい、依頼料」
「巫女は身も心も神のものなんじゃねぇの」
 ひきつった顔で、莉玖が嫌味を言う。
「あら、心は私のものよ」

     一連の事件のあと、莉玖の報酬でもある朔は、莉玖の下で、住み込みで働くということになった。
 さすがに莉玖の家に二人きりで住まわせるのはいただけないと思った久苑が、一緒に住むことでこの話は片がついた。
 奔放な姉のことを思い出して朔は朝食を食べながらため息をついた。それと同時に、あの時のことを思うと胸がズキリと痛むのはなぜなのか…。
 ふいに玄関の扉が大きく開けられた。
「リク!仕事よ。依頼!」
 また呼び鈴も押さずに、春香が入ってくる。
 春香と誠一はというと、帰ってきて早々に協力料(莉玖いわく法外な値段の)を請求して来るという元気ぶり。
 《扉(ゲート)》の事件のあとはずいぶん大変だったらしいのだが、二人ともピンピンしている。
「依頼ねぇ…。それなりの報酬は貰えんだろうな?」
 莉玖は不機嫌そうに眉間にしわを作って、コーヒーをすする。

   今日もまた、0区の非日常的日常が幕を開ける。

〈fin〉





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