その存在がいてはじめて、この存在が肯定された……
宵戯を追った莉玖達が行きついたのは、白鷺本社の屋上。ヘリポートになっていて、やけに広い。
その中央に、旺を抱えた宵戯と壮年の男が一人立っていた。
「はじめまして、だな。暮葉莉玖」
その男は冷徹な瞳で莉玖を見た。
太陽が今にも沈み消えそうで、最後の光を煌々と放っている。
逆光に目を細めながら、莉玖はゆっくりと男との距離を縮めていった。朔はその莉玖の後についている。今すぐにでも、姉の所に駆け寄りたい気持ちを必死に抑えて、機会をうかがっていた。
「あんたは…?」
「白鷺皇雅(しらさぎ こうが)だ」
ほんの四十代で白鷺グループの総帥にまで上り詰めた鬼才と知られる実業家で、この日本の頂点に君臨する9大コングロマリットの中でも抜きんでた力を持つ会社を統べる人間だった。
「つまり、お前が黒幕ってことか」
莉玖は眉をひそめ、コートの内ポケットに手を入れた。
皇雅が険のある目をした。銃でも出すならば、宵戯をすぐに動かすつもりで、目配せをする。
だが、莉玖が取り出したのは思いがけず黒い紙だった。
無表情のまま、その紙を広げて視線を一度おとしてから、皇雅と宵戯を見た。
「鬼卒・宵戯、及び契約主・白鷺皇雅。右の者、冥府総統・泰山府君が、ここに違法契約による咎の処罰を申しつける」
莉玖は黒い紙をひらりと投げ捨てたかと思うと、抜き打ちざまに忠光で横一文字に切り裂いた。それと同時に、黒い紙が発火して燃える。
「冥府が渡吏・暮葉莉玖…お前たちの首、狩らせてもらう」
莉玖の言葉に、皇雅はクツクツと笑って見せた。
「あくまで渡吏としてか…呆れるほど『誇り』とやらに執着するところが暮葉らしい」
すべての元凶ともいえる皇雅は、莉玖にとって家を滅ぼした憎い敵のはずだった。しかし、莉玖は燃えるような憎悪の念を心の奥深くに沈めて努めて平静に渡吏として対峙するように心がけていた。それは、最後に父から教えられた暮葉の矜持……。
皇雅にはその頑なさが滑稽に見えた。
「生死を司る泰山府君の代行者・渡吏。鎌の代わりに刀を持った傲慢な死神だな」
皇雅は蔑むように莉玖を見据えた。
「傲慢?くっ、くくく……それはてめぇのことじゃねぇのか?」
莉玖の馬鹿にしたような言葉にも顔色を変えずに皇雅は続ける。
「違うな。自分たちのおかげで世界は守られていると思いあがっている君達だよ」
莉玖は嫌悪感を露わにした。そして、一度目を伏せると、冷めた声で告げた。
「理解しあうつもりは毛頭ない」
そして、言霊を厳かに発すると、忠光が鍔元から発火して炎が立ち上る。
「いいのか?お前が動けばこの女は死ぬぞ」
宵戯はにたり顔で旺の髪を引っ張り、顔を上げさせて、首元に爪を立てた。
旺は白い検査着らしいものを身につけ、素足のまま震えて立っていた。どうやら体が弛緩して力がうまく入らないようだ。
「……!」
必死に何かを言おうとしているのに、声を発することができないようだ。美しい顔を悲痛に歪めた。
「姉さんに何をした!」
その様子を見て、朔は激昂し、今にもとびかかりそうだった。
「薬か…」
どすの利いた声で莉玖は宵戯を睨みつけた。
「我々が扱いやすいようにしたまでだ」
皇雅が冷笑して言う。
「この女とその娘を交換してやってもかまわんがな」
莉玖は苛烈な眼差しで真正から皇雅を見据えた。その怒りは、とどまることを知らないようだ。
「なんでもお前の思い通りになると思ったら大間違いだ!」
莉玖が叫ぶと同時に今まで制止されていた朔が宵戯の方に、そして莉玖自身が、皇雅の方に飛びかかった。
宵戯は仕方なさそうに舌打ちをして皇雅の前に立ち莉玖の攻撃をどこからともなく出した青龍刀で受け止めていた。
宵戯に拘束されていた旺は放り出されて、倒れていた。
朔は急いで駆けより抱き起こした。姉の顔を見て、無事を確認する。
旺は朔の顔を見ると力なく微笑んで、声の出ない喉を震わした。唇が形作ったのは「ありがとう」だった。
朔はそれを見た瞬間に、こみ上げてくる思いを抑えることができずに泣き出した。何よりも、姉が生きて自分の目の前にいることに安堵していた。
朔は声も無く、ただ肩を震わし涙をとめどなく流した。
「やはり、君を先に消さなくてはならんか…」
皇雅は険をはらんだ目で宵戯越しに莉玖を見た。
「鬼と契約主は一心同体…鬼の負った傷がそのまま契約主の傷となる。逆もまたしかり」
莉玖は真剣な眼差しで皇雅を睨む。どちらかを殺せば、もう一方も死ぬ。力を持たない契約主を狙うのはセオリーだった。
「だけど、契約主を持つ鬼の力は…普通の鬼の二倍なんだよ!」
宵戯は口端を釣り上げて力任せに莉玖をなぎ払った。
一旦、その力にまかせて莉玖は後ろに下がる。
朔と旺の姿を一瞥すると、忠光を構えなおし呼吸を整えた。
旺の身柄はこちら側に来たが、依然として不利なのは莉玖の方だった。
人間と契約した鬼は契約主に縛られはするが、人間から強い力を与えられる。それは人の気。
人も鬼も内包する自己の気は生まれ持った天性の才である。そのため、それ以上の力を得ることはできない。しかし、他者の気を喰うことによって自分の力へと変えることが可能なのだ。ただし、他者を喰うということは最大の禁忌とされていた。
普通の人間に流れる気はその者の生命力を示している。鬼との契約は、人の命を糧として鬼が自分の力を増幅するために行うものであった。命と代償に、人は持ち得ない「鬼」という強大な力を得る。
半鬼半人の状態の莉玖よりは、やはり契約によって力を増した宵戯の方が力は上だ。契約者が近くにいればその力はさらに増す。
「鬼卒ともあろう者が、違法契約をするとは…堕ちたものよ」
沈黙していた緋鳶が口を開く。莉玖の姿にダブるよう、緋鳶の姿が映る。険しい顔をしている。
「へぇ、あんたが噂の緋鳶か……」
興味深そうに、宵戯はまじまじと眺めた。
宵戯は鬼の中でも、鬼卒と呼ばれる、上級官僚であった。冥府において罪人の管理をする役職である。その地位にいた宵戯はかなり強力な鬼力の持ち主と考えられた。
そこに加えて身動きのできない旺。疲労のある朔。そして、莉玖自身の疲労・気の消費に加え、蒼真の毒血も抜けていない。
無意識のうちに、莉玖の眉間にしわがよっていく。
「今の君に我々を殺すことができるのだろうか?」
心の内を見透かしたように、皇雅が嗤う。
静かな抑えつけた気迫を醸し出し、莉玖は目の色を変えた。
感情の一切を消し、青眼に構えた。
その様子をじっくりと観察していた宵戯は口端を吊り上げ、青龍刀を半身で、右手を支点に少し刃を下に向けた。崩れた感じの中段に構えた。
先に動いたのは宵戯だった。
地を蹴り一気に間合いを詰めたかと思うと、足を切り落としにかかった。莉玖はそれを受けとめると同時に跳ね上げて懐へ飛び込む。
間合いは広いが、小回りの利きにくい青龍刀相手ならば相手の間合いの内に入り込んだ方がしかけやすい。
莉玖が胴を抜こうとしたところを、青龍刀の柄の方で防がれ、梃子の要領で刀をはねられたかを思うとすぐさま、横薙ぎに首を狙ってきた。かがんでよけると、下から跳ね上がるように刀をたてて顎から突き上げにかかった。
宵戯は紙一重でそれをよけた。なびいていたザンバラな髪が犠牲となって切られる。
よけて体勢が崩れているなかで、宵戯は青龍刀の柄を滑らせて、莉玖の鳩尾を突いた。
莉玖の体か派手に飛ばされた。だが、莉玖はとっさに身を引いて突きの効力を半減させ、難なく着地するとギッと宵戯を睨みつけた。
今度は、莉玖から先に仕掛けた。
戦いを横で見ていた朔は、違和感を覚えた。莉玖に蒼真との戦いの時に見せたスピードの切れがない。やはり疲労が見て取れる。
ぐっと、手にしていた咲親を握り締め、俯く。
そっと、その手の上に旺の手が重ねて置かれる。
朔は、はっとしたように旺の顔を見上げた。そこには、旺のいつもと変わらぬ微笑があった。
何も言わなかったが、その心のうちは通じ合っていた。
朔はもう一度しっかりと、咲親を握ると一つうなずいて、立ちあがった。
思わず、肩で息をしてしまう。
莉玖はできる限り平静を装って戦っていたが、先の穂積と蒼真との戦いにおける疲労と、動けば動くほど体を重くしていく毒血によって、動きを鈍らされていた。
さっきか何度も危ないところがあった。それを何とか、緋鳶の力で回避していた。
緋鳶に体の主導権を渡せば飛躍的に動きが良くなる。しかし、長い時間、人の体に鬼の魂では、体がかかる強い反動に耐えられなくなってしまう。使いどころを誤れば、命取りになる。
宵戯はなかなかの手足れで、隙もない上に攻撃が正確であった。
一瞬、莉玖の集中が頭痛によって乱れた。その時を逃さず、宵戯は柄の方で膝を叩きつける。体のバランスを崩した、莉玖に宵戯の刃が迫った。
激しい金属音が響く。宵戯の刃を受け止めたのは朔だった。
「ぐっ、あぁ!」
朔は刃をはじき返すと、一気に間合いを詰めて袈裟がけに連撃を繰り出す。
天宮流剣術・四の型乱(らん)葉(よう)撃(げき)。腕力ではなく遠心力を利用した連撃技であった。
不覚にも、朔に助けられたことに不機嫌さを隠せず、莉玖は眉間にしわを刻む。ふと、旺の方を見やると、楽しげに微笑んでいるではないか。この状況でよく笑えたものだと、莉玖は嘆息した。
どこかしこ、力んでいた力が抜けた。刀を構えなおした。
「あんたじゃ、役不足だよ!」
宵戯は馬鹿にした顔で、朔の攻撃を受けとめ、なぎ払おうとした。
「かがめ!」
その時、莉玖の声が響く。
とっさに朔が頭をかがめて、力を抜いたことで、宵戯は自分の力に振られて、バランスを崩す。そこに飛び込んできた莉玖の一撃が宵戯の身を切り裂いた。
「ちっ!」
宵戯はいったん身を引いて莉玖達から離れた。
胸の上を一文字に切り裂かれて、血が流れ出ている。手を当ててぬるりとした感触を、確かめた。
「やるじゃねぇの…」
宵戯の目があやしく光った。
「遊んでないで、さっさと片付けるんだ!」
皇雅が、イライラした口ぶりで、宵戯を促し、言霊を唱えた。
吾が身 吾が心 吾が魂
其よ 捧げし力を食らい 眼前の禍 薙ぎ払わん
言霊に呼応するかの如く宵戯の傷が癒えて、筋肉が盛り上がる。鬼力がほとばしって髪の毛が逆立っている。
それとは逆に、皇雅は片膝をついて荒い息をしていた。
朔は、背中を這うような悪寒に思わず後ずさりしそうになる。
明かに宵戯の力が増幅し、先ほどとは比べ物にならないほどの恐怖を感じていた。
「自分の命を削ってまで……どうしてそこまでする?」
莉玖は皇雅を見やった。
苦しそうに息をついて、額に汗を浮かべたまま、皇雅は笑った。
「どうしてだと?決まっている。私の望みを叶えるためだよ」
その言葉を受けて、宵戯もまた青龍刀を構え直す。
莉玖は剣呑に目を細め、刀を鞘に一旦納めた。左眼が燃えるようにその紅い色を濃くする。
居合の構えをとった。緋鳶が主導権を得る。
宵戯がにたりと嗤ったかと思うと、一足飛びに間合いを詰め、莉玖達を襲った。それと同時に、緋鳶もまた、抜き打ちに攻撃を仕掛けた。
鬼同士の目にもとまらぬ撃ち合いが繰り出される。多少の攻撃ではひるむことなく、お互いが、急所を狙って突き、払い、叩きに転じる。
朔もできるだけ、宵戯の背後や死角に入り込むように動き、隙があれば攻撃できるように構える。
ミシッと莉玖の体が、緋鳶の速さに早くも悲鳴を上げ始める。動きが緩慢になった。その一瞬の隙を宵戯は逃さなかった。
大きく振りかぶって上から利き腕を斬り落としにかかった。
同時に朔も、振りかぶりであいた脇腹を狙って技を出す。
宵戯は途中で刃の方向を変えると朔の刀を払いのけ、柄で突き倒す。そして、そのまま青龍刀を滑らせて、莉玖の肩をかすめた。
また青龍刀を大きく反転させると、突きを受けて動きが鈍くなった朔を刃が襲った。
「危ねぇ!」
莉玖が朔に覆いかぶさるように、身を投げ出した。
宵戯の刃が莉玖の脇腹を切り裂いた。
「ぐあぁっ!」
莉玖は朔の上に倒れ込んだ。それを抱きとめた朔はぬるりとした血が手に触れたのを感じた。
「莉玖!」
朔の悲痛な叫びが莉玖の耳朶を叩く。
ボタボタと脇腹から止めどなく血が流れ出る。激痛が頭まで響き、力が血と共に抜けていくようだった。
「馬鹿な奴…。そんな女ほっとけば、俺を狙う隙ができたのにさ」
宵戯は莉玖の血の付いた青龍刀を肩に担いで面白いものを見るように、笑っていた。
「莉玖!莉玖!」
朔が泣きそうになりながら、名前を呼ぶ。
「……がれ」
身を起こしながら、莉玖が呟く。
「えっ?」
「さがれってんだっ…!」
「でも…!」
「いいから、旺のそばに行け!」
有無を言わさない鋭い目で睨みつけられ、朔はおずおずと莉玖を残してその場を離れた。
「その体で、どうするつもりだ?」
ケタケタと馬鹿にして笑う宵戯の声が響く。
「緋…鳶……頼む」
『馬鹿な!その体では持たんぞ!』
「…っ、つべこべ言ってる場合か!時間がねぇ!」
空は夜色に染まり、最後の光とでも言うように赤い一筋の日の光が伸びているところだった。満月がその姿を現し、天に輝き始めていた。
『……三分だ。それ以上はお前が持たん』
諦めたような緋鳶のため息が聞こえた気がした。
莉玖は呼吸を整えて血の味のする口から、言霊を発した。
「…恒久なる……」
恒久(こうきゅう)なる呵責(かしゃく) 四肢を繋縛(けいばく)する鎖に 封閉(ふうへい)された凶(きょう)なる源(みなもと)
吾が全を捧げ 身を尽くして 其の咎を負う
此処に惨禍(さんか)を解放し召喚せん 示現(じげん)せよ 緋鳶(ひえん)!
黒い気流が立ち昇り、空気が凍りつく。刺すような冷気が一帯を支配した。
黒い靄が晴れると、そこには銀の長い髪をなびかせ、冴え冴えとした灰色の双眸と、白くスラリとした二対の角を持ち、漆黒の衣に身を包んだ緋鳶がいた。
「久しぶりだからって遊ぶんじゃねぇぞ」
にやりと莉玖は笑ったかと思うと、ぐらりと崩れ落ち血を吐いて悶絶し始める。
その体を黒い影が縛りあげ、蝕んでいる。
朔は瞠目して、口を手で覆った。そうしないと、取り乱して声を上げてしまいそうだった。体全体が恐怖に悲鳴をあげて震えている。
莉玖のその姿に。緋鳶の振りまく闇の香りに。
朔の中の渾がまた頭をもたげ始めた。鼓動が早まり、こみ上げる吐き気が止まらない。
そっと、肩に手が置かれた。
ビクリッと驚いて振り向くと、困ったように笑った久苑がいた。走ってきたのか、息が上がっている。
「大丈夫?」
朔の中の渾が静まっていくのを感じる。
「全く、緋鳶を示現させるなんて…あの馬鹿、朔がここにいることわかってるのかなぁ」
久苑は険しい顔つきで、莉玖を睨む。その目はどこか心配そうだ。
「朔、旺の手を握ってるといいよ」
蒼くなった顔で心配そうに旺は朔を見た。その手をぐっと握ると、今まであった、不快感が霧散した。
驚いたあと、ほっとしたように息をついて目を伏せ俯いた。
「今ここは、陰の気が強く充満している。でも旺は強い陽の気の持ち主だから朔の中で陰と陽がうまく相殺されるんだ」
久苑は、ごそごそと鞄から小瓶を取り出して、旺に嗅がせる。そして、刀印を一振りした。
「解除!」
はっとして目を見開いたかと思うと、旺は柔らかに微笑した。
「ありがとう。久苑」
「姉さん!声が!」
朔が感嘆の声を上げる。
旺の自由と声を奪っていたのは水知の香の効力であった。
「朔…本当にありがとう」
旺は、朔を抱き締めた。
朔はまた泣きそうになって、旺にすがりついた。
旺は、憂いを帯びた目で久苑を見上げた。
「久苑、莉玖は…莉玖は大丈夫なの?」
久苑は、厳しい表情を作って、莉玖を見やった。
大丈夫とは断言しがたかった。久苑も、莉玖がここまで追い詰められて、緋鳶を示現させたのを見たのは一度だけだった。その時の戦いの後、莉玖は三日間目を覚まさなかった。
「まさか…冥界の大罪人を召喚できるはずがない!」
さすがの宵戯も驚きを隠せず狼狽する。
「ふん、浅はかな餓鬼が。契約主が我が咎を請け負ってくれてる間だけ、わしは自由に動ける」
緋鳶は不遜な態度で莉玖が取り落としていた忠光を手にすると、鞘を腰に差した。
刀身を鞘に直し、左手は鯉口を切った状態で、右腕はだらりと斜めに下げた。体が少し、前のめりになっている。
冴えたその眼光は宵戯を射るように見ていた。
「へぇ、じゃああの渡吏はもう無理だね。地獄の責苦をその身に受けて生きていられる人間なんていやしない」
「無駄口はもう聞き飽きた」
緋鳶はにたっと笑った顔で一気に間合いを詰めて胴を打ち抜いた。
ガインッと鈍い音が響く。寸でのところで宵戯は青龍刀を立てて攻撃を防ぐ。
宵戯は緋鳶の速さに息をのんで、忌々しげに舌打ちをするとすぐに攻撃に転じた。
日が沈む。夜の時間が訪れ、煌々と輝く月光が降り注ぐ中、二人の鬼が舞うように闘っていた。どちらも狂ったような嗤いを湛えて刃を交錯させる。
痛い。全身を襲う激痛に何度も意識がさらわれそうになる。それでも、霞む目をできる限り見開いて、莉玖は這いずって起き上がろうともがいていた。
……最後の一撃は、俺にしかできない……
「君の行動の方が理解できんな」
膝に手を置いて苦しげな皇雅が莉玖に話しかけてきた。
「取るに足らない他人のために、なぜ君はそこまで傷つくことができる?」
「……誓いを…立てたからだ」
二人の間で、金属音がぶつかり甲高い音を響かせている。だが、その音にかき消されることなく、なぜかはっきりとお互いの声が聞きとれていた。
「誓いだと?」
思いがけない答えに、怪訝そうに皇雅は眉をひそめる。
「俺の大切なものを全て守りきるために、俺は刀を握った」
莉玖はおびただしい出血をしている脇腹を押えた。とりあえず仰向けになってごそごそとコートを脱ぐ。コートを細く引き裂くと、血染めのシャツの上からきつく傷口を縛りあげる。ただの気休めにしかならないが、それでもよかった。
「俺にとって大切な人も物も全部、この世にある。すべてを守りたいなら、この世を守ればいい……」
つっかえ棒のように手をついて、無理やり体を持ち上げる。黒ずんだ四肢は、まるで細胞が死滅していっているようだ。
脂汗の浮かんだ額を黒ずんだ左手で押さえる。
「大層なことじゃねぇ。ただ、そう言う風にしか生きらんねぇ。その誓いが俺を生かし……存在意義になってるだけだ」
立ち止まらないと誓った。十年前に振り返えることはしないと心に決めた。立ち止まったら、これまでしてきた自分の行動は一体何だったのかわからなくなる。赤く染め上げた両手は何のためにあったのだろう。
そして死んだ者たちは何のために死んだのだろう。莉玖を生かすために、この世を守るために死んだ者たちのためにも、莉玖によって奪われた無数の者たちのためにも、その命を背負って、莉玖は闘い続けることしかできない。
それが莉玖にとっての生きる≠ニいうことだった。
人は人に影響され、人との繋がりの中で生きていく。目に見えない大きな連鎖の糸。人はそれを縁(えにし)と呼び、また運命と呼び、巡り巡る。大きな世界の流れ。変えることのできないシステム。神も人も鬼もすべてがシステムの歯車で、代えがたい歯車。歯車が集まり回り続けることでこの宇宙(せかい)は初めて成立する。
「……この世に守りたいものがなければ…どうなる」
皇雅は俯いてぼそりと、呟いた。
かみ合わない歯車。自分を傷つけ、他人を傷つけてきた。
「私は奪われた……守りたいと願った者を……だから、奪われたものを取り返すだけだ!」
莉玖は額においた手を放した。その眼には強い意思が宿っていた。
「意見がぶつかってどっちも引けねぇんだ…なら闘って、最後まで残った方の勝ちだ」
莉玖は膝を押して立ち上がり、よたよたと前に進む。血が足りなくて目が霞む。全身が黒い影に侵食されて腐っていく感覚がする。それでも、自分のすべきことははっきりとわかっていた。
後はその時を待つだけだ。
莉玖が立ちあがったのを視認した緋鳶はさらにスピードを上げた。撹乱するように四方八方に飛び、所所で斬撃を加える。宵戯はとらえきれないことに業を煮やして、立ち止まり、青龍刀を頭上で旋回させ始めた。どこから仕掛けてきたとしても、すぐさま対応できるようにした。斬撃を一つずつ撃ち落としていく。
旋回する音と、飛びまわっては消える気配の音がただ、その空間を支配した。
緋鳶が一気に仕掛けた。
宵戯はその動きを読んで、緋鳶に攻撃を仕掛けた。手ごたえがあった宵戯は勝利を確信して笑った。
だが次の瞬間、それは、驚愕の表情に変わった。宵戯が仕掛けた攻撃は、緋鳶の長く鋭く伸ばされた爪によって防がれていた。
ズプリと宵戯の体を莉玖が背後から貫いた。
戦いのさなか、高速移動をしていた緋鳶は莉玖に忠光を渡していた。そして、さも自分が持っているような素振りで宵戯に仕掛けたのだ。
「馬…鹿、な!」
「わしの契約主を甘く見すぎたな」
緋鳶がせせら笑う。
「…忠光を、扱えるのは……俺だけだ!」
満身創痍の莉玖はほんの僅かに残った右手の感覚を頼りに忠光をしっかりと握った。
「俺らの勝ちだ…お前らの存在を消去する!」
彼が身を焦がし 薙ぎ伏せよ
業火に焼かれ 劫灰(ごうかい)と化せ
莉玖が最後の力を振り絞って叫ぶ。忠光から真っ白な炎が勢いよく立ち上った。
青の炎は浄火。その罪を洗い流し冥府に魂を送る、送り火。
白の炎は業火。その罪も魂もすべてを灰と化して何も残さない炎。
忠光の放った白炎が宵戯を燃やす。そして、同じように契約主の皇雅にも火の手が上がる。
「「ぐわあぁぁあぁぁ!」」
二つの悲鳴が天にこだまする。
消えるのか?ここで、こんな形で…。
皇雅は燃えて崩れていく自分の身体を見まわした。
すべてを持つことができた。富も名声も権力も……。だが、孤独だった。そんな私の隣に彼女は立ってくれた。共にいてくれた。私の存在を唯一認めてくれた。
「皇雅さん!」
屋上につながった階段の所に、息も絶え絶えな蒼真の姿があった。燃え盛る皇雅を見て泣きそうなほど顔を歪ませ、悲痛な声でその名前を呼んでいた。
彼も私と同じだった。
満たされない心。欲したのは手に入らない人間。
私が望んだのは……死者
私が唯一愛した人……
紗羅…君にもう一度会いたかった
私と君と永久に変わらぬ世界が…永劫の命が欲しかった
君を奪った運命なんてものを私は認めない
君のいない世界なんていらない
世界のシステムなんて知らない
君がこの手に戻るのなら私は世界を喜んで壊そう
「暮葉…莉玖、貴様は先ほど言ったな。残った方の勝ち…ならば、両方壊れて、ドローとしようじゃないか」
莉玖は瞠目した。皇雅は銃を引き抜いた。
「月も気も満ちた…冥界の門が開かれる!」
崩れゆくその右手で引き金を引いた。銃声が響き渡ると同時に、皇雅は崩れ落ちた。
放たれた一発の弾丸。
とっさの事態にだれもが狼狽し身動きができなくなった。
撃ち抜かれたのは……朔。
とっさに、旺を庇おうと前に出た朔の腹部を弾丸は撃ち抜いた。のけぞって、意識が遠のく。脳天まで激痛が貫いた。
自分の中で勝手に、治癒を行おうと気が活性化する。それと同時に、今まで眠っていた、渾が頭をもたげ、周囲に満ちた陰の気を飲み込んで増幅する。
「いやああぁあぁぁ!」
朔が視覚化した黒い陰の気に呑まれて気流に体をさらわれた。
「朔ぇ!」
旺が手を伸ばそうとしたが、巻き起こった気流に阻まれて、弾き飛ばされる。
「旺様!」
蒼真が旺を抱きとめる。腹部の傷が開いたのか血がにじんで、顔をしかめた。
「久苑!結界だ!」
莉玖が叫んだ。
「六点封守(りくてんほうしゅ)・気断絶界(きだんぜっかい)!」
数珠をジャラリと鳴らして地面に手をつけ、久苑は朔と黒い気流を取り巻く六角形の結界を構築した。
「このままじゃ、本当に冥界に飲まれるぞ!」
久苑は奥歯を噛みしめて、厳しい表情を作った。
「満月…」
旺は天を見上げて言葉を無くした。
冥道門は月の満ち欠けと呼応するかのように、その扉を開き、陰の気をこの世に放つ。新月の晩は固く閉ざされる門も、満月の晩には大きく開く。そのため、満月の晩は陰の気が満ち、この世が最も冥界に近づく。鬼の力が強まり、狂気が伝播する。
今、この時に朔の渾が発動してしたことで、陰の気が爆発的に増えてしまう。そうなれば、この世は冥界に飲み込まれ、この世は崩壊する。
一時しのぎにしかならないが、久苑の結界で一応は止めた。この間に何とかして、朔を鎮めなければならなかった。
「……俺が止めてくる」
莉玖は緋鳶を元に戻し、今はあの黒く蝕まれていた体も元に戻っていた。
「無茶だ!一人でどうにかできるものじゃない!」
だが、内出血を起こして紫に変わった四肢、脇腹の出血に加えて無数の傷と疲労…。朔の意識が飛んでいるかもしれない今の状況は、先ほどの暴走とは比にならないほど危険だった。
「俺にしかできねぇだろうが!」
久苑はぐっと押し黙った。陰の気を操れるのは莉玖だけだ。
「莉玖……」
旺が泣きそうな顔で莉玖を見た。お互いがはじめてしっかりと目を合わせた。
「俺を信じろ。旺」
莉玖は不敵に笑って、結界の中に飛び込んでいった。
「ぐっ…」
荒れ狂う陰の気のせいで久苑が維持する結界がたわんだ。
五行操術の連発で霊力を消費しすぎた…このままじゃ……
久苑の手の上に、そっと旺の手が重ねられる。
「私の神気を使って。少しは助けになると思うから」
柔らかに微笑んで旺は久苑を見た。
「朔はきっと大丈夫。だって、莉玖が止めるっていったんだから」
久苑は旺の神気を使って結界をもう一度安定させる。
黒く渦巻く気流が収まるのを、切に願って見上げた。
結界の中は荒れ狂う陰の気のせいで気が狂いそうだった。
嫌な感情しか浮かんでこない。
「くそっ!あいつはどこにいるんだ!」
『ここから右斜め上方だ!』
莉玖が緋鳶の言葉の方を見やると黒い繭のような塊が浮かんでいた。
莉玖は痛む体に鞭打って、地面をけると繭にとりついた。荒れ狂う陰の気が莉玖を襲う。
それにもひるまずに、繭に忠光を突き付けて切り裂き、中から朔を引っ張りだした。
「うわっ痛…!」
朔に触れた箇所が焼けるようだ。濃密な気を纏った朔は人が触っていられるようなものではなかった。
朔は意識を飛ばし、目も虚ろで何も写していなかった。まるで肉体という器だけ残した、ただの抜け殻のようだった。
「この馬鹿が…」
莉玖は苦渋の表情で、朔を強く抱きしめた。莉玖の体が焼けるような痛みを感じる。
それでも離すことなく抱きしめて、耳元で囁いた。
「…お前はここにいろ……朔……」
朔と呼ばれるたびに姉さんの影であると思わされた
嫌いな名前
求められるのはいつも姉さんだった
私は『朔』
姉さんの影
姉さんの変わり身
みんな姉さんという光を通してしか私を見ない
私は姉さん無しでは存在できないのか……
私は一体何だ
誰も私を見てくれない
私は…私は……どこにいる
いつも認めてほしかった
不安定な自分
渾であるためにうとまれて
朔であるために腫物のように扱われて
私を見て欲しかった
誰でもいい私を…
私の存在を肯定して下さい
混濁する意識の中に見えた一条の光。
彼は出会ってから一度も名前を呼ばなかった。その名前の持つ意味を知っていたからだろうか。
初めて呼ばれたその名前は、いつもの嫌な名前ではなかった。
わかって呼んでくれた。その存在を一つのものとして肯定してくれた。
ここにいていいのだと初めて思えた。
朔の目から涙があふれ出た。
意識を取り戻して、莉玖にすがりついた。痛覚が戻ってくる。全身が痛い。
莉玖は朔の額に手を当てて言霊を唱える。
主亡き 迷いし気の元 吾が糧と化し 凪となれ
朔の中から陰の気が取り除かれていく。莉玖の腕から血が噴き出る。許容量がオーバーしたのだ。
だが、その時、右手に持った忠光が炎をあげた。
忠光は気を喰い、冥府の豪火に変える妖刀。莉玖の中の気を喰らって放出し始めた。
「喰い尽くせえぇ!」
莉玖の号した声に呼応して忠光からゴウッと音を立てて、炎が立ち昇る。
黒い靄も気流も炎に呑まれて消えていく。
満月の輝く夜空を紅蓮の炎が衝いた。
炎は火の粉を散らし夜闇に霧散していく。
結界の中に朔が莉玖の上に重なって倒れ込んでいた。泣きじゃくって、動かない。
莉玖は、仰向けのまま、激痛で動けなかった。そのため、朔をどけることもしない。
ただ、空に鎮座して輝き続ける満月を眺めていた。
「お疲れ様」
久苑の柔らかな声と共に顔をのぞきこまれた。
「二度と…こんなことしねぇ」
ものすごく不機嫌そうな顔で、宣言した。
「後始末……頼、む…」
莉玖はそれだけ言い残すと気を失った。どこか、安堵した表情。
戦いは終わった。
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