まるで旅立ちの門出を祝福するかのような晴天だ。
真っ青な天を仰いで、俺は息をついた。
俺の性分としては、天気が良すぎると言うのは少々うざったくも思うのだが、卒業式と言う日においてはやはり好ましいのだろう。同窓達も先生達もよかったと言っている。
それに、俺にとっても『今日』はとても大切な日だった。俺が自らに課した『試練』に正面から向かう日だから、今日だけは天気が良いことも、いいようにとらえたいと思った。
午後から始まった式は、粛々と問題もなく進み終わった。
終わってからの現状としては、後輩たちの作った花道を通り、体育館から中庭に出てきた卒業生たちが、写真大会を開いている。各々が高校生活最後の一日の記念として友人と、また恩師とカメラのレンズに映る作業を繰り返している。
友人の少ない俺は、そう言ったことにほとんど参加をしない。クラスでも影の薄い俺は呼び止められる心配もないので、こそこそする必要もない。普通に人であふれる中庭を抜けて、運動部の部室が入った棟のわきにあるベンチに腰掛けた。
天気はいいが、ベンチの位置は少し日蔭になっているために肌寒さを覚える。
「はぁ……」
大きく息をついて、学ランのホックと第一ボタンをはずした。
式の間は一応真面目で通っている自分が服装を乱すわけもいかず我慢していたが、学ランと言うのは、正しく着ると殺人的に息苦しい。加えて、人が大勢いて騒がしく、煩わしい写真大会なんてことをしている中庭のから逃れることができたので、ほっとした。
ようやく楽に呼吸ができると、ベンチの背もたれに体重を預けて、だらりと脱力する。握っていた花束も手から放し、横に置いた。
「速水(はやみ)先輩?」
聞き慣れた声が、俺の名前を呼んだ。瞬間、鼓動が速くなった。
「あぁ、鈴村(すずむら)か…」
声のした方を見やって、だらしのない恰好を少しだけ正す。それと同時に俺は『先輩』の顔をした。
「偶然ですね。卒業生はみんなまだ中庭だと思ってました」
彼女は偶然と言ったが、そうではない。俺は意図してこの時間帯、この場所にいたのだ。彼女が通ることを期待して、待ち伏せていた。
「俺以外はほとんど中庭だよ」
そんなことはおくびにも出さず、俺は日常会話を続ける。
「先輩は写真、いいんですか?」
彼女は何の気なく訊いてきた。ただ、彼女も俺の回答はだいたい予想がついているだろう。二年も同じ部活動にいて毎日のように顔を合わせていたのだから、俺の考え方くらいわかっている。
「写真、嫌いなんだよ。それに撮ろうって言ってくる奴もほとんどいないし」
彼女が予想を立てたように俺は答えるしかなかった。面白みもないし、言葉を選ぶこともしない。そして、ふふっと彼女は笑った。
「先輩っぽいです」
「とっつきにくそうな先輩っぽいですってか?」
言われなくてもわかっていると自嘲した顔で訊いてみる。
「最低限の人付き合いしかしないところが先輩らしいって意味です」
「褒めてないな」
「そんなことないですよ。深い人は深く、浅い人は浅く。人を見る目があって、世渡り上手だってことですから」
やっぱり褒めているのかけなしているのかわからない回答だ。本人は満足げに笑っているので、褒めているつもりであろう。
しかし、彼女の回答が的を射ているので性質が悪い。相変わらず、つかめない後輩だ。思わず俺は苦笑した。
「こんなところで俺の相手なんかしてていいのか?」
この話は賭けだった。
「私たちの役目は終わりましたから、あとは帰るだけです」
彼女は微笑むと、ばたばたと部室棟の奥まで走り、『弓道女子』と書かれたドアに鍵をさして開けると黒いスクール鞄を取り上げ、ローファーを履きながら、すぐにこちらに走ってきた。彼女の言う役目とは、部活の後輩たちによって作られる花道のことだ。そこで花束などを手渡される。最終、運動部は、廊下や式場の片づけをする決まりだった。
彼女はぴたりと俺の目の前に立ち止まって言った。
「…帰っても暇なだけです」
そう言って、俺の横に腰をおろした。俺に対する無邪気な振る舞いを嬉しく思う反面、少し憎らしく思えた。
鈴村はおしゃべり好きな上に、俺とは趣味が合うので帰りがけによく長話をしていた。今日はその最後の日になるだろう。
彼女は一見すると、男の子にも見えるような中性的な顔立ちをした一つ下の女の子だ。可愛いという言葉は、多分あまり似合わない。
ショートカットの黒髪とセーラー服のため、さらされている白い首元が寒そうに見える。
「ひゃっ!」
俺は無意識のうちに彼女の首元に触れてしまっていた。手の甲が彼女の首に触れたその瞬間、触れた先から伝わった熱に、彼女のか細い悲鳴に、俺の意識が引きもどされた。
「何するんですか!先輩、手ぇ冷たいです!」
「いや…寒そうだなぁって思って」
彼女は俺が苦笑しているのを見て、眉間にしわを寄せ、大きくため息をつく。
「たまに先輩も私をからかってきますよね」
どうやら俺の行動は悪ふざけとしかとられなかったようだ。危ない。
「マフラーとか持ってないの?」
「持ってますけど、今日はそんなに寒くないですし……」
そう言った彼女はベンチに腰掛けた状態でぐっと両手足を伸ばした。そしてベンチにだらりと体を預けた。
「日差しが気持ちいいです。春みたいですね」
「3月は季節上、春だから『みたい』はおかしな日本語だな」
彼女は顔をしかめた。しまったとも思った。俺はこういう上げ足をよくとるが、どうも言い方があまり良くないらしい。
俺がそういう顔をしたからか、彼女はクスリと笑った。
「さすが、国立大学に入る人は違いますね」
「そこは関係ないだろ」
俺は彼女の話の飛び具合に面喰った。
「そうですか?」
「そうだよ。それに俺、文系じゃなくて理系だし」
俺もいつもより話がおかしい。別に文章の話をしていたわけでもないのに、文系とか理系とか出すなんて。自分でもわからないくらいの動揺があるからか…。
「でも、頭いいことには変わりないですよ。部活しながら勉強維持ってなかなか厳しいです」
「まぁ……うちの部も両立しにくいからな」
俺が苦笑すると、彼女も仕方ないと言った体で笑った。
うちの学校は文武両道を掲げている。そのためどこの部活にしても、それなりとの練習量と厳しさを維持している。俺が所属していた弓道部も例に漏れない。
俺たちの代が引退した後、同期および後輩の女の子がいない彼女はさらに大変だっただろう。うちの部は女子がマネージャーの仕事も兼務しているので、部活の運営を一手に引き受ける形になったのだから。
「先輩は騒ぐの嫌いってわけじゃないですよね?」
「…どういう意味?」
突然降ってわいたような質問に俺はどう答えたらいいのかわからなかった。
「いや、弓道部じゃ結構先輩も騒いでたんで、なんで今日はそうじゃないのかなぁって」
「俺が騒いでるんじゃないよ。横にいるのがうるさいの」
「そうでした」
笑っているようで、彼女の声音に妙な違和感を覚えた。なんとなく、次の言葉が予測できた。
「今日は東(あずま)先輩と一緒じゃないんですね」
彼女のこのセリフには、明らかな緊張が感じとられた。
俺は天を仰ぎたい気分だった。原因が何なのか、わかりきっているためだ。どうしようもなく、俺の中でズキズキとした痛みが広がっていく。
「確かに同じクラスだけど、貴(たか)は俺と違って引っ張りだこだからな」
俺はあえて茶化したように言った。表面的には笑って。だが、『東(あずま)貴之(たかゆき)』と言う名前をゆっくりと胸の内でかみしめた。
俺の中学からの親友は、俺とは何もかもが真逆だ。底抜けに明るくて馬鹿でいいやつ。顔もよくて背が高くて、弓道部の部長でエース。
俺の一番の憧れ。でも、俺の一番嫌いな奴。どちらも本音だ。
「それに、あいつと一緒にいると疲れる……」
心からため息が出た。
「確かに、無駄に疲れそうですね」
クスリと笑う彼女は普段とは違って、なぜか可愛い。そう感じ取ってしまう自分が辛い。気持ちを隠せている自信はあるものの、彼女の言葉に対して、自分が変な顔をしていないかどこか気にしてしまう。
「相変わらず、先輩にも容赦ないな」
「一応、遠慮はしています」
「一応ねぇ…」
彼女の全く遠慮していそうにない顔に苦笑した。
貴は、暑苦しいとかお調子者なところもあるから、たまにうざったい時がある。俺とか中学から一緒の女子部員とか後輩もよく被害にあうため、部内では結構ひどい扱いの時が多い。
鈴村は一番の被害者と言ってもよかった。初めの方は、先輩と言うこともあって、遠慮していたのかもしれないが、今となっては結構な毒を吐いている。
「まぁ、鈴村は誰に対しても素直だよな」
「褒めてませんね」
俺の笑って言った皮肉に、彼女は苦い顔をした。
「鈴村はさ、真面目だから逐一反応してくれて、楽しいんだよ」
それだけではない。貴は鈴村のことをかなり気に入っている。気に入っているでは語弊がある。貴は鈴村が好きだ。つまり、彼女をからかっているのは、小さい子が好きな女の子をいじめてしまうことと同じ現象といえる。
どうにかして彼女の視界に自分を入れたいのだ。そしてそれは俺も……。
「からかってる方はよくても、こっちは困るんです」
彼女は眉間にしわを寄せた。
「でも、鈴村だって楽しんでるとこあるだろ?」
俺はあえて訊いた。このことが、どんな結果を生もうとも、結局は自分を痛めつけるだけであることがわかっていても、俺は訊かなくてはいけなかった。自分自身のために。
「心外です!」
彼女は即答して俺の顔をキッと睨んだ。
横に座る彼女との距離が近くなった。肩から彼女の熱を感じるほどに。
「貴のこと、嫌いじゃないだろ?」
苦笑交じりに顔を見て言うと、彼女はぐっと黙りこんでしまった。彼女の視線が泳ぐ。少し距離が遠くなり心臓を落ち着かせることができた。かわりに、沈黙は重くのしかかり呼吸がとてもしにくくなった。
自分で自分の首を絞める感覚。まるで、自殺を試みているようだ。
「……速水先輩、あの……」
沈黙を破った鈴村の声は震えていた。
「なに?」
彼女に言い淀んだ先を促した。訊きたくないはずなのに、俺は平静を上手く装って、少し微笑んですらいた。
「この間、東先輩に告白されたんです」
うつむき加減に、彼女は言葉をこぼす。
俺は何も言わなかった。興味深そうにするでも、冗談だといって流すこともしなかった。ただ、彼女の口から事実を確認していた。
「返事……してないんです…」
その事実も俺はすでに知っていた。今世紀最大級の馬鹿で鈍感なあいつは、俺に一連の事を相談してきたのだから。
返事の期限は、今日だ。
俺は黙って次の言葉を待った。
少しだけ期待していた。彼女がもしかしたら貴の申し出を断るのではないかと。ただ、心の大部分は、俺の眼の前で彼女が貴を好きだと言うと確信していた。
「先輩……『恋愛の好き』と『先輩としての好き』の違いって、なんですか?」
俺の中でこれ以上ない絶望感がこみあげてきた。
最悪だ。
本当になんでこんな風に俺はなってしまうのだろう。俺は、彼女の相談相手になりたかったわけではないはずなのに……。
天を仰ぐのはこらえたものの、思わずため息が出た。
「俺みたいな恋愛にうとそうな奴に訊くの、間違ってないか?」
一般的な感想で、俺は話をそらそうとした。これ以上、痛みを負わなくてはいけないのかと思うと憂鬱だった。いっそすっぱり振ってくれた方が痛みは少なかっただろう。
「『速水に訊いた方がいいわよ』って、梓(あずさ)先輩に言われました」
真面目な顔で鈴村に返された。俺なら答えが返ってくると信用している顔だ。
倉敷(くらしき)の奴め、これは報復のつもりなのだろうか。
中学からの部活仲間である彼女のことを思い浮かべて、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
彼女は俺の気持ちを知っている。俺から話したわけではない。俺と同じように、知ってしまっただけだ。
彼女は確かに的確な人材を相談相手に選べと後輩に言っている。実際、『恋愛の好き』と『関係性の上での好意』の違いを、わかっていなくとも、俺は感じとっているわけなのだから。
「貴のこと嫌いじゃないっていうのは認めるんだろ?」
どんな意味合いであっても『好きなんだろ』とは、さすがに言えなかった。
「そう……ですね」
彼女は少しだけ笑った。
込み上げてくる衝動を抑えようと拳を強く握った。
俺が彼女に自分の気持ちを確認させる役割を負うとは、皮肉すぎて笑えない。それなのに、俺ときたら胸の内のドロドロしたものを覆い隠して、今、彼女の前で困ったように笑いながら『良い先輩』であり続けている。
「貴ってお前から見てどんな奴?」
「どんな……」
彼女は頬杖をついて考えている。しばらくして彼女はきっぱりと言った。
「むかつく人です」
「ははっ!」
俺はその答えと、彼女のしかめっ面に思わず笑ってしまった。
「だって、普段はヘラヘラして、人のこと馬鹿にしてからかって」
彼女は憤慨した表情をして言う。俺は苦笑したままだ。
「それなのに……」
その後、彼女は心底悔しそうな顔をした。
「弓持ったら全然違うくって、皆中(かいちゅう)とか普通にするんですよ……」
そうなんだよな……。俺も心底むかつく。
弓道において、手持ちの矢を全て命中させるのはたとえ練習であっても、なかなか難しい。それこそ、試合でなんて決まるのもではない。それをここぞと言う時に決めてくるのが、東貴之という男だ。
「あいつ弓持ってる瞬間、すっげぇかっこいいんだよな」
誰しも思ってしまう。そして、弓をしているものからすれば、心底尊敬する。
「認めたくないですけど」
彼女は本当に認めたくなさそうなふくれっ面をしている。
ころころ変わる表情が愛おしいと思う。ただ、その原因が俺じゃない別の人間だって思うと無性に癇に触る。
「嫌いになれないのは、弓ができるからだけか?」
嫌な気持ちを隠したくて、やたらと笑ってしまう。相手を茶化しているように見せかけて、自分を誤魔化す。
「それは……」
違うと言うことに、彼女自身すでに気づいているようだった。でも、その気持ちをはっきりとは形容しがたいらしい。
「貴と話してるの、楽しいだろ」
俺は、今言える最大の助言をする。言えないことの方が多い。
「……先輩だけど、気を張らなくていいので楽です」
彼女は照れ臭そうに言った。確かに、貴といる時の彼女は違う。ずっと見ていた。だから、気づかなくていい違いに気づいてしまった。
彼女は貴の前では『後輩』ではなく『鈴村香奈子(かなこ)』だった。
日差しの角度が鈍くなり、喧騒が遠くなってきた。
どんなに願っても、時は止まることなく進み、どんなことにもどんな形であれ『終わり』が来る。たとえ、終わりから始まっていた恋だとしても……変りない。
「今日、卒業式だろ」
もういいと思った。
「え…、そう、ですけど」
彼女はふいに言われた脈絡のない俺の言葉に戸惑った。
「俺とお前がこうして話す機会ももうない」
俺は今日初めて、彼女の目をしっかりと見た。彼女は少し身体を強張らせる。俺も、そして彼女も、お互いが緊張しているのがわかる。
「同じように、今までみたいにお前と貴が会う機会も……無くなる」
彼女の瞳がほんのわずかに揺れたのを俺は見逃さなかった。
俺は、無意識に諦めの笑みを浮かべていた。
終わりにしなくてはいけなかった。この不毛な恋の結末は初めから決まっていて、でもそれを確かめないまま進むことはできなかった。
先延ばしにしてきた結末。執行猶予はもうない。俺は自ら退路を断つ。
「なんで、俺と話をする時に中学の貴のこと聞きたがるんだ?」
「それは……」
彼女はもうわかっている。だから、うつむいて答えを濁す。いつものように、貴の弱みを握りたいからとは言わない。
「鈴村、難しく考えるなよ」
たくさん言えることがあった。貴の前では、素に戻れている彼女。貴の事を知りたがる彼女。貴を見ている彼女。
憧れてる、尊敬してる、そんなのも全部ひっくるめて……。
そんなこと、俺が彼女を見ていて気付いたことなんてどれも言いたくなかった。
俺は全部飲みこんで、ただ一言しぼりだした。
「……欲があるだろ?」
俺のダメ押しに、彼女はハッとして顔を上げ、少し泣きそうになった顔で俺を見つめた。
そんな顔で見ないで欲しかった。
無性に俺も泣きたくなった。
彼女の眼が、貴が好きだと俺に訴えてきた。
「鈴村、さっきも言っただろ。お前は『素直』なのが良いんだよ」
「そうですね」
彼女は苦笑して立ち上がった。
「速水先輩には助けてもらってばっかりですね」
「『可愛い後輩』のためだからな」
俺も花束を持って立ち上がり、伸びをした。
「そんなに優しさを安売りしちゃだめですよ」
「安売りなんてしてない」
そう、彼女だけが特別。俺は彼女にしか優しくない。
でも、彼女は気づかない。
彼女はうそだとつぶやいて笑った後、彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
上げた顔はやけにくっきりとした表情をしていた。
「用事あるんで、ここで失礼します」
彼女は踵を返して走り出した。向かう先に誰がいるのか、用事が何なのかわからないわけがない。
俺は大きく息を吸い込んだ。
心臓が痛い。
「鈴村香奈子!」
彼女がびっくりして振り返った。その様がとてもきれいだった。
「俺、お前のこと好きだったよ」
泣きそうなのをこらえて、笑ったつもりだった。
上手く笑えていただろうか。俺は俺の顔を見ることはできない。
彼女は一度眼を伏せ、そして満面の笑みで返してくれた。
「私も、先輩の事好きですよ」
一礼してから走り去る彼女を見届けた後、俺は花束を持っていない手で顔を覆ってクスクスと笑った。
滑稽すぎる自分自身を嘲った。
かなりの力でずっと握りしめていたので、手のひらに爪が食い込んだ跡が残っていた。
痛いと思った。
彼女の好きと、俺の好きは違う。それでも、どんな形でも、伝えたかった。『先輩』の俺じゃない『速水修司(しゅうじ)』個人の心を、吐きだしたかった。
貴を目で追う彼女を見ていて、自分の気持ちに気がついた。
始まった瞬間に終わっていた恋。
屈託のない笑顔を向けられるたびに、心がきしむ音を上げた。
何度も何度も考えて、何度も何度も諦めようと思った。
後輩としても可愛かった。先輩としての俺になついてくれることが嬉しかった。
彼女が好きだった。親友の事も大切だった。
でも、満たされなかった。欲しいと思った。
関係を壊す勇気がなくて。
それなのに『今の状況』は嫌いで。
ただただ、痛くて、苦しかった。
だからもう終わりにしたかった。どんな結末であっても、どれほど痛みを伴っても。
もう、止まることはできなかった。
これ以上、膿を作るのはたくさんだ。
この恋はこの場所に置いていく。
俺は先へ進む。
だけど……もうしばらく、この痛みとはともに進むことになるだろう。
いつか、痛みが糧になるその日まで。
そして、嘘を織り交ぜ伝えた本当の気持ちの欠片(かけら)が、彼女の心の片隅にそっと在(あ)ってくれたなら、この不毛な恋にも救いがあるかもしれない。
〈fin〉
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