籠の鳥は碧天に想う



 時は残酷なほど緩やかに流れ、全てのものが変容していく。巡り巡る移ろいの中、それでもなお、色褪せることのないあなたへの想い……。
出会いも別れも再会も…その全てが私を強くしてくれた。
いつもあなたがくれる何気ない一言にどれほど私が救われているのか、きっとあなたは知らない。
珠玉のようにきれいに磨いて、私の心に大切にしまわれているあなたとの記憶…。

とても静かだ。髪をなでる風の音と、木の葉の落ちる音しか聞こえない。
私は離れの縁側に腰をおろして、空を見上げた。澄んだ空が高く見える。
秋も終わりに近づいた今、晴天ではあるが空気は冷やされ、とても寒く感じる。この寒さが静けさと合わさって、私の心をより一層ものさみしく感じさせているようだった。
「私を残してみんな行ってしまった…」
溜息と共に漏れる思いは、どうしてもじめじめとしたものになってしまう。そう言うものはあまり好きではないのだけれども。
今までの生活に戻っただけのはずなのに、やはり、離れてしまったことが寂しい。叶うのならば、ともに行きたかった。
朔はいいなぁ。
私は足をぶらぶらさせながら、もう一度空を見上げた。全く「井の中の蛙大海を知らず。されど空の広さを知る」とはよく言ったものだ。本当に空は広い。
朔は私のことを羨ましく思っているだろう。光の者として表だって私はこの天宮家でいい待遇を受け、私は必要とされている。常に影である朔にとって、私は眩しいだろう。でも、私は朔の方がよほどいいと思う。
朔は自由だ…。私は巫女という立場に縛られ、天宮を守るために働かねばならない。ここを離れることはできないのだ。それに…
「牽制のつもりでついやってしまったけど…」
思わず声に出して、苦笑する。自身の唇を指で軽くなぞる。自分のしたことを思い出して、さすがに恥ずかしい思いがこみ上げてきた。
まぁ、したことに後悔はない。むしろ嬉しいものだ。しかし、みんなの目の前でしたことには恥じらいが芽生える。
片手で口元を押さえた。顔に血がのぼって熱い。
彼は相変わらず不器用そうで、でもその瞳も、声も、照れたような笑いも愛おしくて…。きっと生涯私はこの想いを抱いて行くのだと思う。
彼の呼ぶ『旺』はまるで魔法のように私を嬉しくさせる。きっと朔も同じことを彼に感じたのだろう。
「巫女は恋をしてはいけない…か」
苦い思いがこみ上げてくる。幼い時には見えていなかったことが今はとてもよくわかる。
でも、そんなものは今更言っても仕方がない。私の想いは止められないのだ。それはきっとみんな同じ。蒼真も、久苑も、朔も…きっと莉玖も。私たちはまだまだ若くて感情に動かされている。若者とは思慮深くは生きていけないものだ。
そう考えると、思わず笑いがこみ上げてくる。なんて幼いのだろう。みんな、変ったのは容姿だけではないかと本気で疑いたくなってしまう。
ふと、朔が莉玖と一緒に住むことに不安がよぎる。朔はそういう感情に鈍感だが、自覚してしまったら最後だろう。近くにいれば、莉玖も惹かれるかもしれない。姉バカというわけではないが、朔は言わずもがな美少女だ。七つも年下の女の子に手を出すのは少々犯罪くさく感じるが……。
頬杖をついて、眉間にしわを寄せて思い悩んでみる。
だが、想いで負けるつもりはない。なにせ十年たっても私は莉玖の事が好きなままなのだから。
この想いの始まりは、きっと、出会ったその瞬間からだろう。その時のことを思い出すと、笑みがこぼれた。

七つの誕生日を迎えてちょうど一週間が過ぎた日だった。天宮の家は忙しなく使用人達が走り回っていた。
「いいですか!鴉どもがこれから来ますから、旺様は主たるお振舞いをして下さい!」
私付きの初老のお局は厳しく言い残すと、ばたばたと離れから去っていった。
清めの塩の用意がいるとしきりに呟いて、嫌そうな顔をしていた。
鴉…暮葉の人間を指す隠語だ。真っ黒な装束と、その生業を揶揄するために、天宮の人間が作った言葉だ。死肉を食む闇の住人…噂でしか聞いたことのない暮葉の人間を私はとても恐ろしいもののように感じていた。
あいたくないなぁ…。そう思って、暗い顔をした。
神聖な者として丁寧に育てられてきた私にとって、天宮だけが世界で、その他の者に触れることは怖かった。
五つの時に初めて守護家の仙堂と会い、さほど年の変わらない蒼真という男の子が私の守護となったが、七つを迎えてからしか常時の付き人にはならない。そのため、ようやくここ一週間毎日顔を合わせて他者に慣れてきたところであった。
当時、人にかしずかれてばかりいた。だが、その中で私のことを見られている気がしなかった。私個人ではなく、次期巫女という肩書しか見ていなかった。きっとこれから来る暮葉の人間もみなあんな風にこびへつらってくるに違いないと思っていた。
巫女の治癒力は一説には不老長寿の力を宿しているといわれ、神を依らせ神の言葉や予知を告げることから巫女に気に入られて、その恩恵を得ようとする輩はごまんといた。
それをはたから見て、幼いながらに嫌な思いを感じ取っていた。だから、裏の人間に会うのはよけいに嫌だった。
「やっぱりあいたくない!」
縁側で足をプラプラさせながら、叫んだ。
そして、不機嫌な気持ちでごろりと寝転んだ。
七つになるまで外に出てはならないのが天宮の掟だった。しかし、ようやく七つになって外に出られるかと思ったら、挨拶だ、顔見世だと結局外に出られずじまいだった。
「ぬけだそ!」
思い立ったら最後、私は飛び起きて服を着替えると、縁側から庭に下りた。
昔の私はお転婆で、いく度となく脱走を試みたものだ。そのためか、見張りのために入口には蒼真が立っている。正面からはきっと出られない。だが、今回は勝算があった。
以前あった台風の影響で庭の松が折れ、その裏にある塀の一部が崩れかけていた。暇を持て余している時、面白がって衝撃を与えると、あっさり私一人くらい通れる穴が開いた。
このことを知っているのは私一人。あそこから抜け出せばいい。
拍子抜けするほど簡単に塀の向こうの通りに出た。
ほとんど屋敷から出たことのなかった私は、どこへ行けばいいのかわからずに、とりあえずキョロキョロしながら歩いていると突然声をかけられた。
「お嬢さん、散歩かい?どこへ行くつもりなのかな?」
男の子を連れた、背の高い男の人が私に優しく笑いかけた。びっくりして、まじまじと私は彼の顔を見た。
「どこって……」
考えていなかった。私は外に出たかっただけだった。答えあぐねている様子を見ながら、男の人は思案気に腕を組んで、しばらくするといいことを思いついたのか破顔した。
「莉玖、せっかくだ、お嬢さんにこの辺を案内してきなさい」
「えっ!でも父さん…」
リクと呼ばれた男の子は私を見て困った顔をし、父親を見上げた。
「私がそうしろと言ってるんだ…いいね」
父親にすごまれて彼はしぶしぶ頷いた。
彼は、唐突に私の手を握ると引っ張った。
「行くぞ」
私は手をひかれてその場の流れのまま、案内されることとなってしまった。
「なに、先方もきっと私たちにはまだ来てほしくないだろうさ」
私たちが歩いて行く後ろで、父親がそう言っているのを聞いた。その意味を本当に理解したのは、もう少し後になってだ。
「この辺は、大したものないんだ。俺もあんまりこないし…」
そう言いながら、彼はぐいぐい引っ張って歩いて行く。目的地はあるようだった。
しばらく歩くと、急な上り坂になった。
洋服に着替えてきてはいたものの歩き慣れていないので、引っ張る彼について行くので精一杯だった。
息を切らして、坂を登りきると公園があった。
そして、公園の中を突っ切って、林の向こう側に出ると、一気に視界が開けた。
「うわぁ!」
私は感嘆の声を上げた。
小さなたくさんの家が立ち並び、向こうの方には霞んだビル群が見える。青い空と、行きかう風に身を任せて呼吸をしてみる。
「ここ、ちょっと高いとこにあるから景色はいいんだよ」
ぶっきらぼうに彼が言った。でも、その眼は優しく微笑まれていた。
「ありがとう、りく!」
両手で手を握って、彼に笑顔を向けた。そうしたら彼は照れたのか、顔をふいっと背けてしまった。そんな様子が何だかとてもかわいく見えた。
「勝手に名前呼ぶなよ…」
「そうだ、私は……きゃあっ!」
自分が名乗っていないことにはっと気がついて居住まいを正そうといした時、疲れていたことと、足場があまりよくなかったためにうっかり足を滑らせてしまった。
「あっぶねぇ…」
彼は苦笑しながら言った。
体勢を崩した私を彼がぐっと支えてくれた。
「いいよ、名前はあとで聞くから」
「えっ?」
「さっさと帰らねぇと怒られるぞ」
そのまま有無を言わせずに、私を引っ張って元の場所へと連れて行った。そこには、ぼぉと空を眺めて煙草をふかす彼の父親の姿があった。
「お帰り。さぁて、行こうか」
「行くって…?」
私が不思議そうに尋ねると、彼の父親は優しげに微笑んで私の手を引くと天宮の正門へと連れて行った。
家の中は私が抜け出していたために、てんやわんやの事態になっていた。
「すみません。外で偶然にお会いしてしまったのですが…」
困り顔で、彼は使用人の一人を呼び止めた。
「あっ!旺様!」
 その声を聞きつけた、お局がすごい剣幕で私の前に現れた。
「どこに行っておられたんですか!」
「…ごめんなさい」
 しゅんとなって一応謝る。
「…不本意ですがお礼を言っておきます。暮葉様」
 嫌味なセリフを吐いて私の手を男の人からもぎ取ると、お局はすぐに引っ張って奥に連れていった。
「暮葉って!」
振り返ると、優しく笑って手を振る父親と、お局の言葉が癇に障ったのかむっとした顔の莉玖がこっちを見ていた。

 今思い出しても、恥ずかしいと思う。
あの時、莉玖も黎貴さんも私が姫巫女だということに気が付いていた。私だけ何も気づかずにあんな風にはしゃいでしまって…あの後驚きすぎて、応接間での顔見せで何を話したかあまり覚えていない。
莉玖は変わったやつだなって思ったと後で言っていた。
「わかっていて、初めから私を対等に扱ってくれた」
口に出して、かみしめるように瞼を閉じる。
誰もが一歩引いて私を見ていた。今も昔も「友」と呼べる人は、私を「旺」と呼んでくれるのは、莉玖と久苑だけだ。それでも初めは久苑ですら躊躇いがちだった。
私が『旺』という存在であるために生まれる壁……。
そう言えば、いつだったか、名前について聞かれたことがあった。
確か朔の話をしていた時だろう。

「ずいぶん変わった名前なんだな」
「えっ?」
私は思わずドキリとしてしまった。
「『旺』と『朔』だよ。男みたいな名前だし…字だって…」
 しまったと思ったが、後の祭りだろう。納得する答えを出さなければきっと莉玖は諦めない。
「……真名じゃ…ないから…」
 ツキリと胸が痛んだ。この時は幼かったのでなぜそんな風に感じたのかわかっていなかったが、今はわかる。自分が人としてではなくまるで一族の物として扱われているような気がしていたからだ。
「それって……」
莉玖は私の表情からそう言ったことを読み取ったのか、しばらく重たい面持ちで黙っていた。
しかし、不意に立ちあがったかと思うと、庭に咲いてあった一輪の桔梗の花を手折って私に差し出した。
「たとえ、真名じゃなくても、お前はお前だから…その…」
しかつめ顔でどもる。こういうときは基本照れ隠しだ。
「誓うよ…俺はお前を守るって」
桔梗…確か花言葉は…
「誠実、ってこと?」
「確かそうだって母さんが言ってた」
その桔梗を満面の笑顔で受け取った。

おもむろに立ち上がって棚を探る。引き出しの中から取り出したのはその時の桔梗を押し花にしてしおりにしたもの。
思わず笑みがこぼれる。
私を私と認めてくれた、その不器用なしぐさに愛しさが芽生える。
莉玖が私のことを個として見てくれていなかったら、きっと私は心に大きな空洞を持ったままだっただろう。

「旺様」
思いにふけっていたところに蒼真の呼び声がした。振り向いて私は微笑む。
「何?」
「意見番がお待ちです」
「…そう……」
ついっと目を細め、思いを引き締めて立ちあがった。
母屋とつながる奥の渡り廊下を通り抜け、私は母屋の最奥にある部屋の襖を開いた。
中にいたのは、先代当主で今は天宮の実権をほとんど握っている意見番の祖父だった。
少し睨みつけるような鋭い目を向けて襖を閉め、私は腰をおろした。ついて来ていた蒼真は閉めた襖の向こう側に控えた。
「ずいぶんと勝手をしたな」
しわがれた声を発し、祖父は私を威嚇するようにギロリと睨んだ。
「何のことでしょう?」
わざと、とぼけたように言う。挑発だ。
「……白鷺をつぶしたら、我らもみな同様になるとわかっていたはずだな。なぜ、朔を生かした?」
馬鹿らしい質問だと思った。喉から噛み殺したような笑いが漏れてしまう。
「ふふふ…そんなの妹だからですよ」
祖父は眉をひそめて私を睨む。
もう数年来、祖父とはこういうとげとげしい関係が続いている。十年前に白鷺と手を結んでから、意見番と私や先代巫女との間には大きな溝ができた。『天宮』に対する考え方が根本的に違うのだ。
「巫女だからと言って、自分は特別だとでも思っているのか?」
「馬鹿な!つい先日、私は売られたばかりでしょう?自身の立場を過大評価するつもりは毛頭ありませんよ」
本当にこの人とは話がかみ合わない。
「結局ご用件は何ですか?嫌味をおっしゃりたいだけなら他の者にしてください」
「……我らの先を何と見た?」
やはりそれかと呆れてしまう。結局この老人は、私たち巫女の力に頼り、神にすがろうとしているのだ。さんざんこの力も神もないがしろにする事に加担してきたというのに。
意地汚くて滑稽だ。
「何もありませんよ…神も、我らを見放したのかもしれませんね」
老人は低く唸っただけだった。
実際には、私は神としっかり対話しているわけだが、その内容をこの老人に話すつもりがなかった。天宮の体勢を変える時が今来ていると私は思っていた。
「人は生きるためにそれ相応の努力をするものです。これまでの寄生虫のような生活は改めるべきでしょうね」
「誰のおかげで生活できていると思っているんだ!」
老人は私の冷ややかな物言いについ声を荒げた。
それを冷笑して返す。
今までのように偉そうに我々は高貴な者だとふんぞり返っているだけでは、今の世の中を生き残っていくことはできない。
天宮は元々の資産が多い。主に土地関係で蓄えがある。それに、パトロンであった白鷺がいない今、せっかくだから怠惰な生活を引き締めればそれだけでずいぶんと財源が生まれるだろう。
そのことを私は長い間この老人に説いてきた。若者の浅知恵と一蹴されたが…。確かにそうだろう。だが当主である父が経営の能力を持っている。
もともと企業家だった父。それを婿養子だからとないがしろにして、自分で今の状況を作り出したことをこの老人はわかっていない。
「我々は天宮だ!その誇りがある。お前が言うようにはいかない!」
「あなたがおっしゃる通り我々は『天宮』です。ですがそれは、神官としての誇りを持つ者です!天宮という名前にばかり囚われて、本質を見失っている!」
思わず語気を強くする。ただ守られているだけの日々はもう終わったのだ。
「矜持とは何なのか、もう一度自身に問いなおしてみてはどうでしょう?」
努めて冷静にいようと心を落ち着けて、声音を落とし老人を見つめた。一呼吸した後、立ちあがって部屋を後にした。
「ずいぶんと派手に喧嘩なさって…」
私について離れに戻る途中、蒼真が苦笑して言った。似合わないということだろう。
「そう?言いたいことを言っただけ」
実際その思いが強いが、足は震えていた。やはり慣れないことをするべきではない。
きっと彼には私が強がっていることもわかるのだろう。それでも、そう言う風にしか返せない。
「御自分の御立場も考えて下さい。守りきれません」
嘆息気味に言われたその言葉を受けて、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
私にはただでさえ敵が多い。この力と巫女の立場が外部からの敵をひきつけ、性格が内部に敵を作る。
そんな中生きてこられたのはひとえに蒼真の護衛のおかげなのだが…。
「ねぇ蒼真、お茶にしない?」
とても静かにいつも交わされる言葉。だが、今の私は蒼真の目を真剣にみて笑みを浮かべることなく言った。
長い付き合いだ。お互いの細かな動作でなにを考えているのかわかる。
蒼真は静かに目を伏せて返事をした。
「そう…ですね」
蒼真がお茶を入れてくるまでの間、また離れの縁側に腰を下ろして空を見上げた。雲一つない青い空が広がる。
そういえば、莉玖と初めて会った日もとても晴れた夏の日だった。そして、あの十年前の事件の日も、とても晴れた日で…月が煌々としていた。
そして蒼真と初めて会った日は…
「…雨、だった」
「なにが、ですか?」
 そうこう考えている間にお茶を運んできてくれた蒼真が私の隣に腰をおろして座っていた。
「初めて会った時のこと覚えてる?」
「えぇ…俺が九つの時です。あなたはまだ五つで、こんな小さな女の子が自分の主なのかと面食らったものです」
蒼真は懐かしむような眼をしてぽつりとこぼす。
幼い日の出来事。鮮明とまではいかないが、それでもとても印象に残っている。意志の強そうな目をして私に言った言葉があった…。
「身を尽くしてお仕えします…」
蒼真は照れくさそうに、その時の言葉を私の目を見て言った。
「生真面目で、堅苦しい人だって思った」
私も思わず苦笑する。
「そう言う風に育てられましたから…でも…」
そこで、蒼真は言い淀んだ。困り顔で眉間にしわを寄せてうつむいた。そこから先の言葉はきっと今のままでは言えない。
瞼を閉じて一呼吸置いた後に、静かだが、有無を言わせない語調で言った。
「ねぇ蒼真、対等に話をしましょう」
沈黙が少し続く。蒼真が緊張していることがよくわかった。
しばらくして、蒼真は一つ息を吸うとうつむいていた顔を上げて、私の目を見た。
「…そうだな…旺……」
少し震える声で、泣きそうな表情で、ただその一言を発した。出会ってから十七年…重い、重い一言。
「俺は本当にただの仕事だと思っていたんだ。じゃなきゃ年下に敬語なんて使えない」
確かに年若い間は、どれほど言い聞かせても年齢で差が出る。私なんてわがままし放題だったのだから不満も多かっただろう。
「このガキって思ったこともあった。でも、一緒に過ごして旺を知って…本気で己の意思で守りたいって思った」
「それゆえの行動が…あれ?」
私の声音は少し低くて、蒼真を牽制するようなものだった。
蒼真は遠くを見るように目を細めた。
「あぁ……俺のエゴだ。本気でこの籠から解き放ちたかった」
言葉を受けて、ぐっと目をつぶった。
十年前、私自身確かに望んだ。この天宮という籠、私を縛る血の鎖、巫女の立場…全てを壊してでも欲しいものがあった。だから、蒼真のエゴは当たっている。
それでも、私はあの時蒼真を責めた。蒼真だけを責めた。自分の思いに気付かないふりをした。
「ぶったりして…ごめんなさい」
あの時、事実を聞かされた私は感情のままに蒼真を殴って、しばらく顔を見せるなと言いつけて泣きくれた。
今思えば、何と馬鹿な行動か。何て恥ずべき行動か。人の想いを慮ることを知らない幼稚な自分に腹が立つ。
「今更…だな。でも、俺はよかったと思ってる。実際、最低なことをしたんだ」
それは柚季ちゃんを殺したことを言っているのか…。
痛そうな顔をしている蒼真を見ると私も少し胸が痛んだ。
蒼真のことは好きだ。でも、それは長く親しんだ父母に対する敬愛に近い。
そして私は、蒼真のことを従者としてしか見れない。だから…、決して弱い自分をさらけ出そうとは思えない。常に主でありたい…。
それは、生まれた時からの、血の宿命なのか。

「旺」
私は蒼真の真剣な声に呼ばれてはっと顔をあげる。視線がぶつかる。今まで、これほどまでに真剣に向き合ったことがあっただろうか。
「俺は……何よりも君が大切で、世界よりも君を選ぶ…。それが禁忌だとわかっている。それでも……」
ぐっと黙り込んだ。
やはり重い言葉だ。そうやすやすとは言えないだろう。私たちは、巫女で…守護で…主と従者で……。
「君のことを……愛している」
やっと聞けた…。何年待っただろう。
明確に立場を、想いをはっきりさせなければ私たちは前に進めない。
私はすくりと立ちあがった。蒼真を見て、柔らかに笑む。
「ねぇ蒼真、あなたは生涯私の付き人であり続けなさい」
目を細め、静かにそして重く告げた。これが私の答え。
蒼真は苦笑すると、縁側から降りて庭に膝をつき私の前で頭を垂れた。
「旺様が望まれるのなら……」
言い終えて、顔をふっと上げる。どことなく安心したような笑みが私を見つめた。
二人して、笑いが漏れる。
あぁ、十年もかかったなんて、なんて馬鹿らしい。
このきっかけも、0区から舞い戻ってきた彼らのおかげか。本当にいつも救われてばかりだ。
莉玖、あなたはどうして私をこうも突き動かすことができるの?
「莉玖はやはり、すごい奴ですね…」
まさか蒼真の口からそんな言葉が発せられるとは思ってもみなかった。目を丸くして彼の顔をまじまじと見てしまった。
「同じことを思っていらしたでしょう?」
彼の苦笑につられて私も笑ってしまう。
「冷えてきたので中に入られた方がいいと思いますよ」
膝の土を払い、縁側に上って湯呑をかたづける。
ふっと、蒼真が床の間に目をやった。
その視線を追って見やると、生け花があった。意見番の所に行っている間にでも、使用人の誰かが入れ替えたのだろう。
「杜鵑(ほととぎす)ね」
秋の花。茶花として、しっとりと趣のある花だ。その花弁にある斑点がほととぎすの腹の模様に似ていることからつけられた名前だったはず。
華やかさはないけれど私はこの花が趣深くて好きだった。
蒼真がくすりと笑った。背を向けたままぽつりとこぼした。

「秋風に いざなはれゆく 黒髪の
 置き忘れなそ 花ほととぎす」

振り向いた彼はどこか挑戦的な目をしていた。
とっさにその意味を探した。眼を泳がせ、はたと思い当たる。
そして吹き出してしまった。
「ふふふ、わかったわ…肝に銘じておきます」
クスクスと笑いの止まらない私を尻目に彼はいそいそと片づけに行ってしまった。
秋風は来襲した莉玖を指す。誘われて行ってしまいそうになる黒髪の私。置き忘れてられては困るそのそばにある杜鵑の花…。
杜鵑。その花言葉は…秘めた意志、永遠にあなたのもの…か。
なんとも的を射ていて面白い。しかし…
私はふと考え込んだ。上の句だけ聞けばまるっきり朔の事ではないか…。少し気に食わない。
またあの思いが蘇る。
もしも、自由に出歩けるのならば……。
かぶりを振って、私は縁側の戸を閉めた。
居間に腰をおろして、テーブルに肘を突き窓越しの青空と、庭の枝から飛びゆく雀を眺めた。
含みのある笑みを浮かべて、私はこぼした。
「『黒髪の』っか……」
私も少し洒落たことをしたい気分になった。

「碧天に 忘れやはする かよひ路を
          乱るる桔梗 手折りゆきたし…なんて、ね」

桔梗。花言葉は誠実、清楚、気品……
そして…

変わらぬ愛。

〈fin〉





あとがき

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